この時期になると思い出すのは…。その2 | 私の真実

私の真実

タイトル「私の真実」は中学校の卒業文集と同じにしました。
40代後半のアラフィフ男の自分日記です。
いまを楽しむことに全力を注いでますが、実際は現実逃避しているだけなのかも。
そして過去も引きずってばかり…。時々、過去の振り返りもします。

毎年この時期になると必ずニュースで取り上げられる世田谷一家殺人事件。
警視庁での正式事件名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」。
2000年(平成12年)12月30日(土曜日)午後11時ころから平成12年12月31日(日曜日)未明にかけて起きた事件です。


現場上空から撮影1(警視庁HPより)

 

事件現場北側に隣接する公園側から撮影(警視庁HPより)


あの事件から未解決のまま23年目。
事件発生当時、私は同じ上祖師谷に住んでいました。
犯人像は、20代、血液A型、やせ型…など私と一致するものがいくつか。
これはいつか私のもとへ捜査員が来るかもなんて冗談半分に思いながらも事件当日の私の行動をメモに残しておいたこともありました。

2000年12月30日午後22時頃
池袋の職場から自宅最寄り駅である京王線・千歳烏山駅で下車し駅近くの松屋で夕飯としてハンバーグ定食を食べる。
食事中に渋谷の本店から私の携帯電話に着信がありましたが、絶対に嫌な電話だと思いスルー。
帰宅後、その電話に折り返したが案の定、今から年始の初売りの準備を手伝って欲しいとの内容だった。
今から渋谷へ向かったら徹夜で手伝う事になるのが想像でき、翌日の大晦日は休日で予定もあったので当然断った。
当時一緒に同居していた妹は実家へ帰省しており、この日は帰宅後は一人で過ごした。

2000年12月31日昼頃
遅い起床で年末ジャンボ宝くじの抽選をテレビで確認しガッカリして外出。
かすかに雪が舞う時間帯があるくらい寒い日だった。
新宿、四谷周辺で彼女と会い、帰宅後にテレビで事件のニュースを知った。
事件現場は、駒大の野球部グラウンド近くという事で何度か自転車で通った事もあり、すぐにのおおよその場所がわかった。
それまで夜はお風呂の窓を開けっ放しで寝ていたが、その日からは閉めてから寝るようにした記憶があります。

事件発生から3、4年後のこと。
ある日の朝、成城警察署から自宅に電話が掛かってきました。
既に出勤の為、自宅を出ていた私に代わり妻が電話対応。
「世田谷一家殺人事件についてのお話を伺いたいからすぐに行きます」との内容でした。
すでに上祖師谷から別の地域へ引越ししており、私の自宅の電話番号も変わっていました。

それでも事件発生から3、4年後になって当時周辺に住んでいた私にたどり着きました。


その日の担当捜査員の動きは早かったです。
午前中には私の職場があった渋谷まで捜査員二人が来ました。
まず、「事件は知っているか?」、「事件当時周辺に住んでいましたよね?」的な簡単な質問をされました。
意外にも「事件当日その時間帯は何をしていたか?」という質問はありませんでした。
次は、捜査員一人が私に事件に関する写真を何枚か見せ、もう一人が私の反応を見る。
その捜査員の鋭い眼光に私も緊張が走りました。
でも捜査員は私の反応を見て事件に関与していない人物だとすぐにわかるのでしょうね。
最後に私の指紋を採取し、数分で帰っていきました。

いわば私も容疑の可能性がある人物として捜査線上に入っていた一人です。
だからという訳ではありませんが、いまも犯人逮捕、事件解決を願う一人でもあります。