こんにちは!

 

ご訪問有難うございます。

 

いきなりですが、私が生まれたのは1965年、つまり昭和四十年です。

 

私は小さいころから人とは何か違った感覚を持って生きてきました。

それが

 

「スピリチュアル的な考え方、感じ方」

 

と知ったのはかなりたってからです。

 

私の若いころに、スピリチュアルという言葉は有りませんでした。

 

私のある友人に

「わたし、スピリチュアルをやめようと思うんだ。」

と言われて驚くとともに、とても違和感を感じたことがあります。

私にとってスピリチュアルは、やるとか、やめるとか、そういう考えではなかったからです。

 

ただ私はプロフィールにもある通り「占いもするスピリチュアルな霊媒」です。ある占い師さんから「さにわ」だと言われたことがあります。さにわとは、巫女に降りた霊を判断する力のある人物をいいます。

 

スピリチュアルとは霊的なものを信じること、目に見えないことを信じる、感じることがまず定義としてあります。

全てにおいてです。

宗教的には神道が近いとされています。

 

そのせいか分かりませんが私は若いころ、勾玉(まがたま)を集めてペンダントネックレスを自分で作っていたりしました。イヤリングも作り、じっさい身につけていました。

 

勾玉とは、いろいろな説がありますが、私は日本神話の「ひるこ」を連想します。まだ未熟児で手も足も骨もない胎児。水に流されてしまいます。そこから私は流産を感じました。そしてその一番小さい胎児の姿が、人間の最初の形であり魂として勾玉の形になり信仰の対象になったのではないかと。

 

スピリチュアル的に言うと、霊媒として霊に関わってきた者として、霊は水晶玉のような丸い形をしていると思います。

 

とにかく私はスピリチュアルという言葉に、たしか江原氏のテレビ番組「オーラの泉」で、初めて出会いました。

そのころ、オーラには詳しくなかったもののスピリチュアルという言葉には共感できるものがあり、また、音の響きが「なんかカッコいいキラキラした感じ」と思い、人に話しても通じやすい所から、「スピリチュアルな人間です。」なんて自己紹介に使ったりしています。

 

だから、正しくは、私はスピリチュアルな人間ではないかもしれません。なぜかというと、スピリチュアルという言葉が後から来たからです。

 

神道と言えば勾玉のイメージがある私は、最近「国石 糸魚川の翡翠(ひすい)の根付を買いました。

しかしこれが強力な負のつまりマイナスのパワーがあり、心の中で思うだけで魂がすーっと持っていかれる感じがします。邪気をはらう力が強く、また、良い念も持っていかれるらしいのです。

 

こんな石は初めて持ちました。

 

こういう事を感じる力もスピリチュアルというのかな?

感じないほうが、幸せかなぁなんて思っている今日この頃です。

 

ところで、霊媒としてのお話を少し書かせてください。

 

基本的に私に乗り移ってもらった霊は、私の目を通してこの世を見るのを嫌がりますし、怖がります。

 

でも、ツインレイはいつも私を見ているし、そしていつも私の中に居るのだからいいかな?と思い、リビングで私の目を通してこの世を見てもらいました。

 

そうしたら、ツインレイは

「私のアドバイスを聞いて、部屋を片付けてみない?」

と、嬉しい提案をしてきてくれたのです。思ってもみないことで、私は

「ぜひ!」

と、頼んだのです。

全く断捨離のできなくて苦しんでいる私にとってとても有難いことでした。

1人では無理でも、自分のハイヤーセルフでもあるツインレイとなら、絶対できそうな気がしますし、じっさいまだ始めてから三日目ですが、意欲による成果はどんどん出てきています。ちなみにツインレイには未来予知の力もあるので、終活的にも合理的で良いのです。

 

必要な物か要らないものかをツインレイとテキパキ判断をしながら作業しています。

・・・私が三日坊主になりませんように祈るばかりです。

 

そうそう、一番大切な体の断捨離。体重も体脂肪もかなり減ってきました。水太りを無くす靴下とファンケルの出している代謝を助けるサプリのおかげかな?

 

 

やる気と明るい気持ちが持てれば大丈夫。

 

 

 

この度も私のブログ、読んでくださって本当に有難うございました。

 

 

   聖晶通信。