こんにちは!

 

来てくださって有難うございます。

 

今回は「お金」について、書かせてください。

 

 

私は高度成長期に生まれ育ち、仕事に就いたときはバブル真っただ中でした。

そんな訳で、あまりお金に不自由しない境遇に生きてきました。

 

ですから、いまでも

 

「遊ぶ金欲しさに犯行に及んだ」

 

などの意味が分かりません。

 

だって、小さいときはデパートの隣に住んでいて、それでも欲しいものはなかったし、特に欲しいものと言ったら、アイスとチョコレートだけだったし、そうそう、夏の夜になるとそのデパートの屋上から、ビアガーデンのハワイアン・バンドの曲とキラキラした明かりが見えて、それを子守唄に眠りました。

私も何度もビアガーデンには連れて行ってもらい、ビールを親の見てない隙に飲んだりしてました。

 

その周辺はヨーカドーとか、大きな店舗が多かったです。遊ぶところも沢山あって、ゲームセンターへも、母と弟とよく出かけました。

 

あの頃は、現金のつかみ取りとか、そんな催しもよくありましたよ。

 

そしてデパートが駐車場を広げるので、貸家にいた私らは武蔵野の美しい少しへんぴな所に引っ越しました。

 

本当に自然が豊かで、今、林がほとんど伐採されたようで悲しいです。

 

お金の話に戻しますが、服や食べ物は、親が普通に買ってくれたし、おこづかいも、少なめですが普通にいただいていたので、唯一困るのは、漫画を描く時のスクリーントーンというものを買う時だけでした。

当時一枚五百円。今の五千円ぐらいの感覚です。

 

育ってからは、パート、派遣、正社員、内職など、いろいろしました。

とにかくバブルなもので郵便局貯金の利率が高く、良い時代でした。

 

そしてまた、引っ越して、埼玉から東京へと移ったわけですが、なぜか私の家の周りには安い服屋や宝石店が多く、例えば、新品の綿のワンピースが百円。コートをほめられて、

「でも、これ百円ですよ」

と言ったら、相手が驚いたり、天然石やフリルの店など、たくさんあって、そのころスリムだった私は、安くて良い物を身につけられることができ、よくほかの人に

「どこでそういう服を買われるのですか?」

と、言われたり、教え子には

「同じのが欲しい!」

と言われたりもしました。

 

そんなわけで、私はお金に不自由したことがないのです。つまり、「欲しい高いものがない。」から。

 

唯一困ったのは、カシューナッツが一袋食べたかった時にお金がなく、母にほしい旨伝えたところ

「そんなお金はない!」

と、言われたときかな。

 

よく

「遊ぶ金欲しさに悪いことをした。」

と聞きますよね。あの意味がいまだに分かりません。

ぶりっ子するわけじゃありませんが

「遊園地で遊びたいなら、少しバイトでもしてお金貯めればいいのに。」

程度の認識です。

 

うちは決して裕福ではありません。ただ、旅行も国内の近場で十分満足だし、住んでいたところも、外国人の観光客がくるような所でもあるので、別に遠くへ行く意味もないなぁなんて思っています。

 

お金のために働きたいなとは思いますが、お金のために悪いことをしたいなとは思ったこともないし、私にはそういう境遇と、心がわからないのです。

 

ちなみに、私の中に霊界から宿っているツインレイには

「大丈夫。一生お金のことは任せてください。不自由はさせません。」

と、言われております。ときに、一生ってあと何年なんだろう・・・?

 

こんな私の拙いブログ、読んでくださって有難うございました。

 

あー、それから私は宝くじを二回くらいしか買ったことがありません。しかも二回とも一枚だけです。

「だって当たるのは一枚だけだもん。」が私の持論です。

母には

「変な子」

と、言われております。

 

 

   聖晶通信。