下唇噛む癖 直ってたのに | あみちゃん日記

あみちゃん日記

うーーーーーん。

あみちゃんへ

 

お久しぶりです。もうあなたには話しかけないと思っていたのに戻ってきてしまいました。私、最近、さみしいんだ。別に、友達がいないわけでも恋人がいないわけでも相手にしてもらえないわけでもないのに。ただ、外に出ているときは自分の部屋に帰りたくて帰りたくて仕方ないけど、部屋に戻ってきてベットに横たわると途端に外に出て誰かに会いたくなる。だれか、私のことが好きな人と一緒に散歩がしたくなる。それなのに、恋人に会っているときは、彼のことなんてどうでも良いと感じてしまう。「何考えているの」と聞かれても、困る。私の考えていることなんて、痩せたいけどパフェ食べたいなあ、とか、家に帰りたいなあ、とか、何でこの人私に興奮できるんだろうなあ、とかそれくらい。彼とは、ハグできるだけでも十分。ハグをするのに言葉はいらないから。ハグは大好き。彼がぎゅっとすると体のあちこちに油を差されたみたいに、だらあと力が抜けます。私はいつも掛け布団になります。重い?と聞くと、ちょうど良いよ、と返されます。お気に入りのかけ布団みたい。

 

 

「生きるための幸せを見つけたい」とみんなはいうよね

でも私は「生きる意味が幸せだなんて納得できない、生きる意味が生きる意味だって言っているのとおんなじだよ」とおもう。

ナンセンスじゃん。「幸せ」なんていう言葉は、「生きる意味」をそれっぽく言い換えただけ。そうすることで、生きる意味について考えるのをいったんやめるためのちょうどいい言葉を、みんなに与えただけ。そう言ったら、皆はなにか、続けて言ってたけど、私はだんだん悲しくなって、なんて言っていたかは聞こえなかった。泣けてきました。

私はかわいいと言われたいのかもしれない。あみちゃんもかわいいって言われたいでしょう。でも、わたしの泣き顔はおかめ納豆のおかめみたいだから、腕で覆うしかないんだよね。でも本当は泣き顔もかわいいねって言われたい。それも、お世辞じゃあなくて、ぽろっと出ちゃったみたいに。私のことを好きになる人は、いつも、「顔じゃないんだよね」と言います。あみちゃんへの褒め言葉は、かわいいよりも圧倒的に、色々考えていておもしろいとか、変な人だとか(多くの人はなぜか、変な人という称号を褒め言葉だと勘違いしているみたい)、そんなのばかり。でもそんなのってどうでもいい、私はかわいいって言われたい。「かわいいから、好きだよ」って言われたいんだなって気づいてしまいました。わたしはなんで生きているのか解りません。この世界に必要とされているようにはどうしても思えないし、わたしが死んでも、この世はそんなに変わらないと思います。でももしかしたら、かわいいってことが、生きてる意味になったかもしれないと思うと、かわいく生まれてこなかったことを、とてもとても残念に思えます。

 

 

あみちゃんは子供欲しいですか。わたしは、子供を産まないことにしました。だって、ただの生の連鎖にしたくない。世の中の子供を一生懸命育てている人は、ただの生の連鎖のひとつみたいだから。自分の子供が立派に育って欲しいと願ってる。子供を産んで育てて立派になって欲しいと思っても、その子供も子供を産んで育て立派に育って欲しいと思ったら、ただそれがずっと続いていくだけです。私は、子供を産んで満足したくない。私の小さな希望を、子供に少しも、分け与えたくない。私のパパとママの希望の一部は私に託されました。私の希望は私の希望です。あなたの希望も私の希望です。けっして自分のための希望を、絶やしたくありません。

 

ふと、プラトンの気持ちが分かりました。あみちゃんにも教えてあげたいです。それとも、同性愛者をプラトニックラブと名付けたのはプラトンではないのかもしれません。どっちにしろ、同性愛をプラトニックで純粋な物だと思った誰かの気持ちがよく分かります。私だって、自分たちの行っている行為が、子供を作るための欲求だなんて思いたくありません。そんなことのために、私たちは裸で抱き合っているんじゃなくて、もっと、違う物を作るためにそうしているんだって思いたい。だから、同性愛者はずるい、同性愛ってだけで、それがすでに証明されているような気がします、私は異性愛者だからわざわざ言葉にしてそれを証明しなければいけないのに。

 

 

文章を書くよりも、対面で思っていることを伝えるのは難しいです。だからこうしてあみちゃんに聞いてもらって整理します。わたしは、頭の回転が悪くて、たまに臆病だから、テキトーなことを言ってしまうことがあります。それでも、ほんとうは、幸せなふりだけはしたくない。幸せじゃない時は幸せじゃないと言いたい。子供が好きじゃなかったら、子供が好きじゃないと言いたい。恋人を心から愛してると思ってなかったら、手をつないで散歩したくない。体が感じていないのに、ため息を聞かせたくない。優しくしてくれる人の誘いでも、行きたくなかったら断りたい。美味しくないものは一つも食べたくない。賢くない色気のない文章なんか、一行も読みたくない。簡単に本質とか口にする人を、褒めたくない。

 

 

 

人のうでの中に入ることは、うれしいけれどかなしいことなんですね。

 

あみちゃんより