別の記事で軽く述べた通り、私は生後半年の時に先天性の眼の疾患が見つかった。


その時にお世話になった先生は、小児眼科の名医と言われていた(評価に関しては諸説あり)。


私は先生の定期検診を受けるために朝早くから通勤ラッシュに揉まれるが、まだ楽な通院だろう。


新幹線や飛行機を使ってでも先生に子どもを託す親御さんも多いはずだ。


先生の活躍は診療や手術だけではない。


テレビのニュースに流れるような研究成果を残しているのだ。


多忙極まりないはずなのに、こちらの話は真面目に聞いてくれるあたたかい先生だった。


検査の手際も良くて、眼を開けることが苦しくても、少しだから頑張ろうと思えた。


いつしか先生が憧れになっていた。



先生に最後に会ったのは、高校2年の冬。


受験を終えて定期検診に行ったら、先生は病院から去っていた。


先生の行き先は、ある大学の研究室。


高校3年生の時には行き先を知っていたから、追いかけようと思った。


しかし、その大学の入試難易度は旧帝大の医学部に匹敵する。


私には到底手の届かない所だった。


とはいえ、私は医師になる切符を手にすることができた。


だから、医師になったら先生に報告したい。


「あの時はありがとうございました。沢山の子どもの人生を救うことができる、あなたのような医師になります。」