昨日の記事 (イタリアで「歌手」と言えば…) で

イタリアでは歌手と言えば
「オペラ歌手」であると書きました

もちろんクラシックの世界での事です


その話をもう少し詳しくしますと

例えば

「あなたはイル・トロヴァトーレのレオノーラの声を持っています」

と言われたとすると

その「楽器」を持っている
すなわち

「その役柄に必要な音色と音域の声帯を持っていると推測される」

と置き換えられるのだと思います



だからといって何もしなくても
生まれたままの声ですぐ
そのオペラの役柄全体を歌える
というわけではもちろんありません

またその役だけに限る訳でも
もちろんありません



演奏者としてある程度の研鑚を積み始めている場合
大体その辺りのレパートリーから始まって

骨格や身長
顔の形
声帯の喉における位置 (解剖学的に)
筋肉の質や付き方
などの様々な身体的要素を総合して
正しく鍛錬した結果
その役と
それに連なる諸々のレパートリーを
歌えるようになる可能性が大いにある

ということなのです


なので続けて成長出来るかどうかは
その鍛錬の過程において

「決して道を間違えないこと」

がとても重要になります



ちなみに私は
大学から大学院時代
幸か不幸か

自分の楽器よりも「軽すぎる役」を歌おうとしていたようで
声帯を壊すことはなくとも
持っている楽器の特性を生かし切れずに
困っていた状態だったのです


でも歌曲歌手というのは存在しないし
あなたの声はこういう役柄の声です
という明確なイタリアでの判断は

「これで自分の楽器に落ち着いて向き合える」
という喜びに繋がりました


さらに良かったことは
それまで軽い役柄の歌に多い
アジリタ (=早いパッセージを転がして歌う技術)の習得を
図らずもしていたお蔭で
後に歌うヴェルディの作品のなかでの
ドラマティックな役のアジリタにも
生かすことができたので


人生って決して無駄な経験はないのかもな…と
思ったりしています


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ミラノ中央駅近くのAlbanese先生宅からの眺め



ciz.