亘のブログ

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2014.04.17 アメブロ始めました!
よろしくお願いいたします(^-^)

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何年か前、中学時代の友人が、その友人の幼なじみが「僕とうりふたつの人を見かけた」と言っていたらしいです。
へー、そんなこともあるんだー、と思っていたら、数日後、その幼なじみが交通事故で亡くなったというメールが届きました。
“自分のドッペルゲンガーを見るとその人は近いうちに死ぬ”というのは本当なのでしょうか。
調べてみると、web上にドッペルゲンガーに関する記事を見つけました。
以下はその抜粋です。


ドッペルゲンガーとはドイツ語で”二重の歩く者”の意で、自分とそっくりの姿をした分身を指している。
しかし、同じような迷信自体は他の文化圏にもあり、アイルランドの伝承では「フェッチ」、スコットランドのオークニー諸島では「トロウ」と呼ばれ恐れられていた。
トロウはしばしば醜い、小鬼のような小さな生き物として表される。
その子供は病気であることが多く、そのために健康な人間の赤ん坊をさらい、本物そっくりの偽物と置き換える。
この偽物はやがて病気になり、若死にするという。

ドッペルゲンガーは多くの場合、凶兆であり、ときには差し迫った死の象徴でもある。
家族や友人によってドッペルゲンガーを目撃された人物は、病に倒れるか、窮地に陥ることを意味する。
また本人が直接自分のドッペルゲンガーを目撃した場合は、自身の死を暗示するとされる。

ドッペルゲンガーは”悪魔の双子”とも知られており、混乱や不安に陥れるために嘘のアドバイスを伝えたり、不吉な考えを吹き込んだりする。
そのため、ドッペルゲンガーとの会話は避けることが望ましいとされる。

またホラー文学でも人気のあるテーマである。
例えば、ドストエフスキーは『分身』でこの現象を追求している。
ヘマをやらかして正気を失った役人が、全てが上手くいっている自分の分身に出会う。
そして最後は分身が本物を負かしてしまう。

さらに実際に目撃されたという記録もある。
アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンは大統領に選出されて間もなく、鏡に2つの顔を持つ自分の姿を見たと妻に話している。
この話を聞いた妻は2期目も当選するが、彼が命を落とすだろうことを悟った。
そして彼女は正しかったのだ。

江戸時代の日本では、「影の病」「影の煩い」と呼称され、「離魂病」とされた。
『日本古文献の精神病学的考察』(栗原清一)に一例が記述されている。
その内容は次のようなものである。

北勇治という人が外から帰って来て、居間の戸を開くと、机に向かっている人がいる。
自分の留守の間に誰だろう? と見ると、髪の結いよう、衣類、帯に至るまで、自分が常に着ているものと同じである。
自分の後姿を見た事はないが、寸分違いないと思われたので、顔を見ようと歩いていくと、その人物は向こうを向いたまま障子の細く開いた所から縁先に出てしまい、後を追ったが、もう姿は見えなかった。
家族にその話をすると、母親はものもいわず、顔をひそめていたが、それから勇治は病気となり、その年の内に死んでしまった。
実は勇治の祖父・父もともに、この影の病により亡くなっており、あまりに忌しき事ゆえに、母や家来はその事を言えずにいた。
結果として、3代ともこの影の病にて病没してしまった。

吉村貞司は『スサノヲの悪竜退治 - 原神話の回復の試み -』(1977年)において、「味耜高彦根命は死者(アメノワカヒコ)のドッペルゲンガーと見ていい」と書いているように、神話上においても、ドッペルゲンガーと近似する記述は古代から見られ、ドッペルゲンガーと関連するものと研究されている。

医学においては、自分の姿を見る現象(症状)は「autoscopy」、日本語で「自己像幻視」と呼ばれる。自己像幻視は純粋に視覚のみに現れる現象であり、たいていは短時間で消える
現れる自己像は自分の姿勢や動きを真似する鏡像であり、独自のアイデンティティや意図は持たない。
しかし、まれな例としてホートスコピーと呼ばれる自身を真似ない自己像が見えたり、アイデンティティをもった自己像と相互交流する症例も報告されている。
ホートスコピーとの交流は友好的なものより敵対的なことのほうが多い。
例えばスイス・チューリッヒ大学のピーター・ブルッガー博士などの研究によると、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域(側頭頭頂接合部)に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いという。
この脳の領域は、ボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのように錯覚することがあると言われている。 
また、自己像幻視の症例のうちのかなりの数が統合失調症と関係している可能性があり、患者は暗示に反応して自己像幻視を経験することがある。


上記のように、“自分のドッペルゲンガーを見たり見られるとその人は近いうちに死ぬ”というのは、必ずしもそうとは限らないということですね。


終わりに、“この世には自分と瓜二つの人間が3人はいる”とも言われています。
あなたはこの不思議な現象、どうお考えになりますか? 
自分と瓜二つの人間、ドッペルゲンガー。
もしかしたら、あなたのすぐ近くにもいるかも知れません。

wataruでした。