りぃ君が保育園の年中の頃はというと、、、



発音の不明瞭なところもあり、言葉の教室へ通い始めましたニコニコ


なぜ早期に訓練に入れなかったのかというのは、りぃ君の発達段階が訓練可能な域まで達していなかったから、、、あせる


あとは人員パンクなところもあり、なかなか枠が空かなかったこともあります汗



言葉の教室を通うようになり、りぃ君も早退が増えました


保護者の方で、りぃ君の発音の不明瞭なところが気になる方は気になっていたようで、子供を使って探りを入れられたりもしましたがびっくり


担任はベテランの先生だったので、これからりぃ君は習い事に通うんだよ、とクラスの子たちにうまく説明してくれていましたウインク




どうしても、りぃ君のような凹凸君を育てていると、人の事が気になる方はどこにでもいて、詮索好きな方のターゲットになりやすかったあせる


これは今の特別支援学校に入学するまでは、ついて回ってきた事です


中学は支援級でしたが、

授業参観の時は支援級の教室に向かって歩いていると、後ろからヒソヒソ…


たまに人をバカにしたような含みを感じる方もあせる


今でこそ、達観したところがあるので人の噂に動揺しなくなりましたが、りぃ君の義務教育時代は精神すり減らす事も多くあったなと、、、


ブログを書いていると、いろんな事を思い出しますが、悲しいとか、苦しいとか、そんな気持ちは感じなくて、、、


「こんな事もあったな〜」と流せる自分に気付かされます!!