飲み過ぎた | 渡辺やよいの楽園

渡辺やよいの楽園

小説家であり漫画家の渡辺やよい。
小説とエッセイを書き、レディコミを描き、母であり、妻であり、社長でもある大忙しの著者の日常を描いた身辺雑記をお楽しみください。

 昨日は、息子の担任の先生を囲んで慰労会。
 小さな居酒屋の部屋は、ぎっしりお母さん。先生の人気度をうかがえる。
 しかし、見事にお母さんだけだ。
 こういうとき、一人もお父さんがいないのって本当に不思議な気持ちになる。私も彼に「子供は私が見ているから行ってきたら?」と、言ったのだが、「俺はいいよ」と、言われてしまう。保育園の集まりの時は率先してくるのになぁ、と、思うが、保育園ではほぼ全員のお父さんが参加してくるからだろう。小学校になると、父子家庭母子家庭はさておいて、「父親」という存在が見事に消え失せてしまうのだ。事実こういう集まりに父親はゼロ。以前、忙しい私の代わりに父兄会に彼に行ってもらったら「男は俺一人だった」と、閉口していたことがあった。「父親不在」「男女の役割分担」と、いうことばが頭に浮かんでくる。
 そういうなか、クラスの集まりにいつもお一人だけ初老の男性が参加しているのが、目立ち、気になっていた。
 そして、慰労会の席で、一人一人の自己紹介の時、偶然、私の前に立ち上がったのがその男性だった。
「こんな席に年寄りが一人混じって申し訳ないです」
 と、彼が訥々と話し始めた内容に、酔いの回ってふるわっていた席は水を打ったようにしーんとしてしまった。
「娘は企業戦士の妻として、海外出張にインドに住むことになりました。しかし、娘は非常に繊細な心の持ち主で、あちらの生活になかなか慣れないのと、海外企業の日本人奥様世界のつきあいに精神が疲れ病んでしまったのです。日本人奥様たちのつきあいで、「次の会合までに日本のお饅頭30個作ってくること」などといわれては、私どもがせっせと日本から食材を送ったりしました。次第に「日本に帰りたい日本に帰りたい」と、しきりに申すようになり、食べ物がのどを取らなくなり、やせ細ってきてしまいました。私どもは、日本に帰れば娘の具合もよくなるだろうと、娘と孫娘を日本に帰国させました。でも、すでに手遅れでした。娘はなかなかよくらず、食べ物を受けつけないまま、25キロまでにやせ細り、とうとう亡くなってしまったのです。お棺の中の娘は腕も足もがりがりでした。私どもは、残された孫娘を引き取り、育てることになりました。しかし、幼いときに母親をなくした孫娘は、今でも毎日私のふとんにはいってきては、おっぱいをまさぐったりします。不憫でなりません。こんな年寄りが育てていくのもどうかと思うときもありますが、皆様よろしく御願いします」 
 こうした話を皆の前で語ることができるようになるまで、この人にはどれだけの心の葛藤があったろうかと思うと、計り知れないものがある。
 企業戦士、つぶされる家庭、父親不在、日本のしんどい実態の縮図のような話。

 そのあと、私が自己紹介である。
 ううむ、こんなシビアでじんと来る話のあと、私は何をしゃべったらいいのだ。
 しかたなく、「漫画家で作家です」と、暴露する。
 とりあえず、受けるネタで。
 話の途中で、「もしかして○○ちゃんのお姉さんでしょう」と、声がかかる。
 さすが地元、妹の同級生がぞろぞろいた。
「お家に遊びに行ったこともあるの、そのころからお姉さんは童話や漫画を書いたりしてましたよね」
「は、あの頃から全く進歩しないままで」
 緊張していた席が、和む。
 しかし、その妹の同級生さんが幹事で、「きっと私がこのクラスではお局さま」と、いっていたが、姉の私が、実は最年長なのであることがばればれなのである。

 飲めない私が、少し、飲み過ぎた。