子供がいなくなる | 渡辺やよいの楽園

渡辺やよいの楽園

小説家であり漫画家の渡辺やよい。
小説とエッセイを書き、レディコミを描き、母であり、妻であり、社長でもある大忙しの著者の日常を描いた身辺雑記をお楽しみください。

知り合いのブログで、娘さんが一時行方不明になって寿命が縮む思いだったということを読み、去年の夏の事件を生々しく思い出す。

夏。
病気が発覚した直後で、落ち込み気味の私に「元気だして、ぱーっと行こうよ」と、保育園の知り合いのお母さんが、キャンプに誘ってくれた。
三浦海岸の、夏は海水浴場になる海辺の近くの穴場に、キャンプを張るのだという。
我が家には病気の犬がいるので、家族総出というわけには行かない上、運転できるのは私だけなので、私と子供たち二人で参加した。
夜中に出発、大勢の子供たちも揃い、みんなテンションが上がる。
高速を飛ばし、横道に入り、車一台ぎりぎり通れる狭い抜け道を通り抜けると、そこは広々とした海岸。ランタンの明かりを頼りにテントを幾つも張り、興奮して眠れない子供たちはひそひそくすくす、焚き火番の大人たちは飲んだくれ、私は寝付きがよいのですぐさま寝てしまう。
翌朝からは晴天。
岩場でカニや貝を捕るもの、すぐそこの海水浴場で泳ぐもの、岸壁で釣りをするもの、焚き火のそばで飲みながら鍋の番をするもの……皆、夏の海を満喫している。私は当時2才の娘の番で、彼女のあとをついて回る。娘は足腰がしっかりしてきて、いくらでも歩けるのがうれしい時期、しかし、そのため目がはなせないのだ。充分注意していたつもりだった。

キャンプ2日目。遊び疲れ飲み疲れ、午後、日差しの高い時間、私と娘は風通しのいいテントで一緒に昼寝をしていた。ぐっすり寝て、ふっとテントを見ると娘がいない。他の子供たちと遊んでいるのかと、テントを出て、海岸を見回す。三々五々遊んでいる子供たちの中に、娘が見あたらない。息子に聞いても「知らない」各テントのなかを見て回る、焚き火番のお父さんに聞いてみる「気がつかなかったなぁ」岸壁で釣りをしているグループに聞いてみる「こっちにはこなかったようだが」徐々に私の胸の動悸が高まってくる。皆に「娘が見あたらない」と、知らせる。大人たちの顔が真剣になる。
「海水浴場に行ったのでは」
海岸線に長く海水浴場がある。たくさんの人出だ。あそこにいったのか。
自分のテントに戻り調べてみると、娘は帽子をかぶり靴をはいて出ていったらしい。少なくとも熱射病は避けられる。
「とにかく手分けして捜そう」
大人たちで、岩場から岸壁海水浴場を探すことにする。
いない。
携帯で連絡を取り合って確認。「こっちにはいない」「こっちにも」
私の頭からさーっと血の気が引いていく。
海水浴場の人たちに聞いて回る。大勢の人出のうえ、子供も多い。聞く人皆首を振る。
海水浴場には、監視塔もライフセーバーの人たちもいるので、迷子放送を流してもらい、捜索も御願いする。
ライフセーバーの誰かが
「波に飲まれたら、すぐ分かるはずだ」
といって、私のこらえていたものがどっとあふれてしまう。
もし、岩場から海に落ちていたら、もし、浜辺から波に持って行かれていたら、身長80センチの浮くこともできない娘は……
私はその場に崩れ落ちて泣き出してしまう。人々の顔が深刻になる。
「あと、夏場は変なやつも多いから……」
誰かに連れ去られたか?体重12キロの娘は、たやすく抱き抱えられて連れていける。
最悪の状況ばかりが頭を占領して、私は
「どうしよう、どうしよう、どうして出ていったことに気がつかなかったんだろう」
と、つぶやきながら泣き続けるばかりだ。
グループのリーダー格のお父さんが「とりあえず、警察に連絡して近辺も捜してもらおう」
そして泣きじゃくる私の肩を抱いて、
「だいじょうぶだから、○○ちゃんに注意していなかった俺たちみんなの責任だから」
私は首を振る。
「私のせいだ、私のせいだ」
動転している私は、取りあえずキャンプのところで待機していろといわれ、皆、また捜索に出かける。
しかし、私は胸が張り裂けそうでじっと待ってなんかいられなかった。
娘にもし何かあったら、生きていられない、心からそう思った。
大腸癌になったとき、「子供がまだ小さい、生きなければ」と、思ったものだが、今、自分の命より大事なものがあると、知った。

私は、娘の名前を呼びながら海岸を走った。波打ち際を、走りながら(どうか無事で、どうか生きていて)と、念仏のように唱えた。

と、はるか向こうの海岸線から、グループのお母さんの一人が歩いてくる姿を見た。背中に何かおぶっている。
私は履いていたサンダルを脱ぎ捨てて、熱い砂浜を全速力で走った。
娘が、おんぶされていた。
私は娘の名前を絶叫して、娘をかき抱いた。私の中で凍り付いて流れが止まっていた血が全身にどっと駆けめぐる。娘の身体は熱く柔らかかった。
娘はかき氷のコップをもって、口の周りを真っ赤に染めてにこにこしている。
「ばか、ばか、どこにいっていたの!」
娘を抱いて号泣している私に、おんぶしてきたお母さんは、ほっとしたように
「海水浴場の一番端っこの海の家にいたの」
という。
1キロはある長い海水浴場、そこをずっと一人で歩いて行ったのだ。
「海の家の人は、他の子連れの人たちと一緒に入ってきたので、そこのうちの子供だと思っていたそうよ、それでしばらくして人がはけたら、この子が一人でいるので、あれ、と、思ったけど、泣きもせずいるので、そのうち親御さんが迎えに来るのかと思ってたって」
それで、監視塔の放送も聞き流してしまったらしい。
なんでもいい、無事だった、ありがとう、ありがとうと、そのお母さんに抱きつく。彼女は、首を振って
「もともとキャンプに誘ったのは私だから、もしものことになったら私こそ申し訳が立たないところだった、本当に良かった」、と涙ぐんで言う。皆に無事だったことを連絡する。
娘を抱いてキャンプに戻ると、キャンプのメンバーと、地元の警察の人たちが待っていて、皆顔をほころばせて「よかった、よかった」と、口々に言ってくれ、私は「ご迷惑をおかけしました」と、頭を下げ続ける。

夜半、焚き火を囲みながら大人たちは、
「小さい子は、皆でいる場所を声を出して確認しよう」
と、話す。そして、
「これが、ひと夏の笑い話になって本当によかった」
と、乾杯する。

子供
最近は子供を産むことは、苦しいだの痛いだの、自分の時間がとられるだの、人生が束縛されるだの、責任が大変だの、お金がかかるだの、産み損、のようなイメージばかり。まさにそのとおりである。今回のことのようなことがあれば、寿命も縮む、もしものことがあれば、一生自分を責め続けるかもしれない。

でも、人生のある時期、これほど自分以外のものを無償で愛せることなど、ほかにはない。見返りなどいらない、ただただ愛している。

私の早死にした父は、死の床で私に言った。
「子供は、5才くらいまで、本当に可愛くて可愛くて親はとても幸せで、だから、子供はその時に親に一生分の親孝行をしているんだ、だからそれから先は、親は子供に孝行なんか期待しなくていい、子供もしなくてもいいんだ」
父の、この言葉は、その子の私に受け継がれた。
動物日記アニマルな日々も、どうぞ。