中間貯蔵施設への除染廃棄物の搬入が始まり、常磐自動車道全線開通、国道6号線全線開通等、震災と原発事故から4年を過ぎ、これまで停滞していた福島第一原発周辺地域の復興の兆しがようやく見えてきた。しかし、一方そこに住んでいた地元住民の気持ちが置き去りにされたまま、土地の復興だけが勢いを増しているような気がしてならない。そして風化が進むにつれ、避難者に対し配慮を欠いた報道も目立つようになり、世間の風当たりも強くなってきているのを最近ひしひしと感じている。

福島第一原発周辺各町が実施したアンケート調査の結果(復興庁平成261017日発表資料)を見てみると、帰還を希望している住民は、富岡町で11.9%、浪江町で17.6%、大熊町で13.3%、双葉町で12.3%といずれも低調だ。さらにその調査結果を分析してみると、各町そのアンケートの問い方に微妙な違いがあることに気付く。富岡町のアンケートの場合「現時点で戻りたいと考えている」という帰還意思の問われ方であるのに対し、浪江町では「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」、大熊町、双葉町は「戻りたいと考えている(将来的な希望も含む)」という帰還意思の問われ方になっている。これでは単純に隣接町を比較することはできないだろう。避難者に帰還の意向を問う場合、その答えには必ず修飾語がつく。「今すぐ戻りたい」「子供達が大きくなったら戻りたい」「復興の状況を見て戻りたい」「住民の帰還状況を見て戻りたい」「福島第一原発が廃炉になったら戻りたい」「線量が1ミリシーベルト以下になったら戻りたい」「3.11当時に戻るのならば戻りたい」これをいずれも帰還の意志有りとして一括りにするならば、ほとんどの人は帰還の意志有りとなる。避難者の帰還意思に対する答えは、家族や仕事、就学、避難先、避難元の状況そして時間軸の取り方によっても変わるので、その結果も注意深く分析する必要があるだろう。

避難者を「帰還する人」「移住する人」の二元論で峻別し議論すべきではない。これは当初から被災地で言われ続けてきたことであるが、その気持ちを慮れるはずの避難者同士でさえ、未だに「帰還する人」「移住する人」の二極で議論を繰り返し、デリカシーのない発言を浴びせ合っている現状を見るに付け悲しくなるばかりだ。帰還する人側からは「なんだ、故郷を捨てるのか。」「帰還しない奴らが復興の妨げになっているんだ。」と吐かれ、移住する人側からは「あんなところで子供を育てる人の気が知れない。」「健康被害が出るかもしれないのに子供達がかわいそう。」と中傷合戦が繰り広げられる。皆同じ時期に避難を余儀なくされ同じように元の生活ができずにいる状況に変わりはないのに、自己の立場と選択の正当性ばかり主張している。4年が経った今、改めてお互いの選択を尊重し認め合い、もっと想像力を持つことが求められているように思う。

これから住民が帰還しようがしまいが土地の復興は急速に進むのだろう。しかしそれが帰還する人にとってだけの復興であればどうなるのだろうか?移住を選択した人達を切り捨てた復興であればどうなるだろうか?止むに止まれず移住を選択した人も半数以上の人が町との継続的な関わりを持ち続けたいと願っていることは先のアンケートからも明らかだ。例え避難先に住民票を移して新しい家を購入しても、必ずしも帰還を諦めた人ばかりではないし、遠い将来には故郷に戻って古里で最期を迎えたいと考えている人は多い。これから福島第一原発周辺地域は確実に人口減になり、人が戻っても原発の廃炉作業員や工事関係者を含め、ほとんどが以前そこに居住していた人以外の住民が移り住む地域になるのだろう。しかし、これからの土地の復興が発災当時の地元の住民の力や関わりなしで進めば血の通った復興などできるはずがないし、魂の抜け落ちた単なる箱もの事業誘致だけの復興に終始してしまうと私は思う。誰もが自らの意志で住み慣れた古里を離れたわけではない。止むなく移住を決めた人、移住しながら将来帰還を望んでいる人達を含め全ての住民の力を借りなければ福島第一原発周辺地域の復興の成功はないだろう。また、避難者自身が自分の古里の復興に係わることで、それが心の復興に繋がるのだ。

土地の復興と人の復興は、それが両輪となって動いて初めて血の通った復興になるのではないだろうか。

今この復興がようやくスタートしようとしている時に避難者同士でいがみ合っている場合ではない。