昨日富岡町に行ってきた。のどかな冬空の下、見慣れた町の景色の中に至る所黒い袋が積まれている光景があった。やはりその光景は異様でショック。富岡町も除染が着々と進んでいることは聞いていたけど、こんなに町の至る所にフレコンバックが出現するとは思っていなかった。特に富岡海岸沿いはまるで防潮堤のように黒い袋のフレコンバックがうず高く積み重ねられていた。そしてその海岸沿いから駅裏にかけて、いくつもの巨大な建造物が今まさしく建設されている真っ最中だった。少なくとも震災前は、駅周辺にあんな大きな建造物群は存在しなかった。

 

あれは何だ?焼却場か?単なる集積場か?少なくとも2か月前は存在しなかった。こんなにすぐに町の景色が変わってしまうものか。これからますます富岡町内の景色は変わっていくのだろう。比較的まめに富岡町に行っている僕だってビックリするんだ、他の町民はどう感じるんだろう?ほとんど町に来れない多くの町民はどう思うんだろう?「何だこれは!」「聞いてないぞ!」「町民不在で勝手に進めやがって!」と思うだろう、きっと。よく読めばきっと広報紙や町のホームページに情報が掲載されてあるはずだろうけど、だけれどそう思うんだろう。

 

町の様子が目まぐるしく変化し復旧復興が進む一方、多くの町民の疎外感、無力感、置き去り感は増すばかり。あと数年たったら町の景色は一変するんだろう。それは将来に向かって町が再生するということなのかもしれないけど、きっと多くの町民は暫くぶりに帰ってきてみたら浦島太郎になっちゃった・・・と感じるんだろう。全町民が避難させられ、3年9ヶ月も人の住んでいない町の再生の困難さを改めて感じる。

 

それでも町や復興に携わる人間は町民に全力で伝え続けなければならない。つぶさにつぶさに。移住を決めた町民、そしてしばらく町に戻ることができない町民でも、富岡町に対する思い、故郷に対する思いは深く残っている。その思いを繋ぎ留め、結集しなければ決して富岡町の真の再生はないだろう。発信続け、理解と協力を取り込んでいかなければならない。町民の気持ちを慮りながらの復旧復興でなければならない。