http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201303240177.html

一年前の今日3月25日は警戒区域が解除され富岡町が区域再編された日だ。町は3つの区域に分断されてしまった。除染やインフラ整備加速化のためと押し切られ、富岡町は泣く泣くこれを受け入れた。

あれから1年、どう変わったのか? 

除染やインフラ整備が加速度的に進んだか? 

警戒解除が解除されたにふさわしく安全な町になったか? 

際立つのは区域が分断されて「あんたの所は帰れる」「あんたの所は帰れない」と町民の心まで分断されてしまったこと。

そして恐れていたように賠償に格差が生じ、「あんたの所はもらえる」「あんたの所はもらえない」と町民間に対立が生まれたこと。

町も政府に「区域再編と賠償は別だ!!」と言ってきたけれど・・・

昨日も、帰還困難区域の人から「もらえる追加賠償のことでとやかく言われたくないから付き合いをやめましょう。」と言われたという話を聞いた。

居住制限区域や避難指示解除準備区域の人達からは「これから帰還が一年延びる度にチマチマと追加賠償され、その度に周りから賠償の話をされるのは嫌だ」といっいうため息を日々聞いている。

これからますますその溝は深まっていくようでならない。