いつもの喧嘩の筈、だったんだ。
池袋の街中、大きな通りから一本外れたどこにでもある路地。常となった臨也を追いかけていくという行為の途中、不意に振り返った様を訝しんで全力で動かしていた脚をこれまた全力で止めた。夕方になったというのに大晦日ということもあり、若い連中や忘年会目的の社会人なんかで賑わっていた表通りが嘘のように今いる道は静かだった。相変わらず目の前の男はにやにやとほくそ笑んでいる。その光景に手にした標識がまた嫌な音を立てた。
コートの中に臨也が手を入れた瞬間、またいつものようなナイフが飛んでくるものと思って間合いを詰めたのがまずかった。
臨也が取り出したのは普段のナイフと同じ鈍色の、けれど形状の違うものだった。形は闇に紛れて視認出来なかったが、気体が噴出されたから恐らくはスプレー缶の類だったのだろう。目がかっと焼けたように熱くなり、次第に涙が隻を切ったようにぽろぽろと溢れ出した。これが俗に言う催涙スプレーで、化物じみた自分にもそんなものが効くのかと理解したのは、首筋にちくりとした痛みを感じた後だった。目を指で擦りながら体勢を戻そうとして、出来なかった。何故か力の抜けた身体は何の抵抗も無くアスファルトへと叩きつけられる。前髪を掴まれ、無理矢理向かされた視界は相変わらずぼやけきっていたが、黒い靄のような塊と臭いと、ここに至るまでの条件からして確実に臨也だ。
抵抗の罵声を吐こうとした唇は、臨也のそれで塞がれた。脳内のキャパシティを軽く超えたそのキスは、俺の思考力の一切を奪うには十分すぎるもので。
そこから、俺は臨也に抱かれた。あくまで乱雑に、まるで物を扱うような容赦のなさで。
身体の上限の一切を無視した行為は俺を気絶へと導いたらしい。携帯かなにかのシャッター音で目を覚ませば、あらぬ部位への痛みと全身にこびり付いてかぴかぴに乾ききった精液の鼻をつく匂い、臨也のあの人を小馬鹿にした口の歪みが俺の意識を出迎えた。おはようシズちゃん、よく眠れた?なんて、それこそ情事後の会話のような。次に見せられたのは小さな液晶画面だった。そこにかなりの高画質で映されていたのは紛れもない自分自身の痴態で、当然ながら撮影者である臨也は写っておらず、ただ俺が男に抱かれた証拠となるものだ。返せと一発、拳を繰り出して渾身の力を込めたストレートは臨也諸共あっさり躱された。その事実に苛立てば、奴の口からとんでもない事柄が吐き出された。
「シズちゃん、俺と一年間付き合ってよ。」
ふざけるな、と一刀両断すれば奴の口角は更に上がる。断ってもいいけど、今俺の手にあるこのシズちゃんの写真を君の知り合い全員に送る事だってできるんだからね。その言葉に上げかけた腕を下ろす。この場で臨也の携帯を壊すという手段が無かったわけではない。ただ奴が、俺がそんな事をすれば次にどんな手段で脅しにかかるか分からなかったからだ。長年嫌でも付き合ってきた身として、臨也の外道っぷりは他人よりも熟知していた。不名誉にも程があるが。
こうして一年という期間、俺は嫌でも臨也と恋人ごっこをする羽目になった。