このコンサートは、村井邦彦さんの古希をお祝いする主旨で開催されたもので、村井さんが創業者のALFA MUSICに関わりのあったミュージシャンが集結して行われました。

場所は、渋谷Bunkamuraオーチャードホール。

ALFA MUSICは、1969年に村井さんが作詞家の山上路夫氏と共に設立した出版社の事で、最初に契約した作家は、当時高校生だったユーミン、そして最初に契約した外国曲が「マイ・ウェイ」だったとの事。

その後、日本で最先端のスタジオも作り、村井さんは、70年代後半から80年代にかけて、日本の良質な商業音楽を産み出すことに大きく貢献されました。

ユーミンもデビューアルバム「ひこうき雲」をこのスタジオで作り上げ、鮮烈なデビューをし、それまでの日本における歌謡曲を中心としたポップスとは違う、より洋楽のエッセンスが色濃く含まれたニューミュージックと呼ばれるジャンルを牽引して行くことになりました。その後、さらに村井さんは、世界に通用する音楽を作り上げたいという思いで、YMOにも深く関わることになります。

私がボストンに留学していた時にYMOの世界ツアーが行われ、ボストン公演があった折りに、そのライブ会場で、「赤い鳥」解散後に久しぶりに村井さんとお会いした事を思い出します。

そう、私が、村井さんと初めてお会いしたのは、私が18歳で後期「赤い鳥」のメンバーになった時の事でした。
村井さんは、当時、経営者、プロデューサーとしてだけでなく作曲家としても活躍されており、やはりそれまでの日本の歌謡曲とは一味違う、洋楽の香りが強い名曲を産み出されていましたが、「赤い鳥」の代表曲の「翼を下さい」も村井さんの作品です。

「赤い鳥」最後のアルバム「書簡集」を制作する折りには、メンバー全員、とある一軒家で合宿しながら楽曲を作り、1週間たったところで、村井さんが登場し、プロデューサーとしての権限で楽曲を決定するという事で進行して行きましたが、全10曲中、私が作曲した作品が6曲も選ばれ、とても嬉しかった事、またその後も村井さんから「渡辺君は、作曲家でやっていけると思う。」と言われ、それが大きな励みになった事を思い出します。

今回のコンサート、松任谷正隆氏が総合演出を務めユーミンを始め、そうそうたるアーティストが出演しなんと4時間近くの長いコンサートとなりました。
まだ、本日、2回目の公演が有りネタバレになるため詳細は、書きませんが、スタジオ・アルファが出来た当時、赤い鳥のメンバーとしてそこで録音した事等、様々な思い出が甦り、何とも感慨深い内容のコンサートでありました。



開演前に村井さんの楽屋にて。



元「赤い鳥」のメンバー、現在「紙風船」として活躍されている後藤悦治郎さんと平山泰代さんとは、40年ぶりの再会でした。
嬉しいキラキラ



服部克久先生もナビゲーターとして出演されました。