今日は、少し前のブログにも書いたボストンへ留学した頃の事を書いてみたいと思います。

ボストンへ行き、生まれて初めてホールで聴く生のオーケストラの音に魅了された事については以前書きましたが、それからの私はほとんど毎週のようにコンサート・ホールに通いました。

通常のコンサートにも行きましたが、公開リハーサルというのが本番の前日にあり(私服で演奏するという違いだけで、ほとんど本番とかわらない内容)、金額は忘れましたが、とにかく安く見られるので助かりました。世界的なオーケストラの演奏をこのようにして聴けるなんて本当に恵まれたことだと思います。

当時は、まだ四十代の小澤征爾さんが音楽監督だったわけですが、そのリズムを明確に表現する指揮の格好良さにとても魅力を感じました。そして、常に暗譜で振る姿にも驚かされました。(暗譜で振る指揮者は、他にも何人もいますが、クラシック音楽に無知だった当時の私には、とにかく驚きでした。)

1000人の交響曲とも呼ばれるほどのパート数の多いマーラーの交響曲第8番を指揮された時、友人(小澤さんの弟子)に紹介されて楽屋を訪ねましたが、終演後で汗びっしょりになり浴衣を着て憔悴しきっている感じの小澤さんの私を見つめた目だけが武道の達人のように爛々と光っていたのが印象的でした。

それからの私は、小澤さんのこれまでの歩みについて知りたくなり、日本から小澤さんの事が書かれている本を色々と取り寄せて読みました。

今でも印象に残っているのは、「僕の音楽武者修行」(日本で斉藤秀雄さんから学んだ時代からフランスへ単身で渡り、ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人として初めて1位を取るまでの事を書いた本)と武満徹さんとの対談集です。どちらも小澤さんの音楽への情熱と努力が如何に凄いものかが伝わってきますが、特に後者の本に今でも私に影響を与え続けているエピソードがあるので紹介します。

それは、武満さんの曲がボストン交響楽団によって演奏された日の晩のことです。コンサートの成功を祝いながら小澤さんの自宅でお酒を酌み交わした後、12時過ぎに床に付き明けがたの4時ごろ目を覚ました武満さんが、トイレに行こうと小澤さんの部屋の前を通りかかった時、もう小澤さんは、スコアに向かって勉強していたというのです。そして、その時の事を対談の時に小澤さんに驚きを交えながら話すと、小澤さんは、さりげなく「指揮者は、自分で音を出すわけでもないし、プロとしてこれぐらいやっていないと話にならないのだよ。」というような調子で答えているのです。

小澤さんが世界レベルで活躍し、全ての楽曲を暗譜で振るためには、才能だけでなく毎日のこうした弛まぬ努力があってこそ為しえているという事実が当時の私に与えた影響は、計り知れないほどのものがありました。

最近、俳優として活躍している小澤さんの息子さんとお会いする機会があった時、このエピソードについて話しましたが、この明け方の勉強は、現在に至るまでほぼ欠かすことなく毎日続けられているそうです。

「東洋人が西洋で生まれたクラシック音楽をどこまで深く理解できるようになるかを自分の一生をかけて挑戦していく。」と言い切る小澤さんの音楽家としての生き様は、今でも私に大いなるエネルギーを与え続けているのです。