前回のブログで予告した16日の出来事を書きます。
11月1日のブログでミシェル・ルグランのコンサートに行った折に、何十年かぶりに村井邦彦さんにお会いした事を書きました。その後、メールのやりとりをして、是非ゆっくりと積もる話をしましょうということになり、16日にお会いしたのです。
村井邦彦さんと言えば、「翼をください」、「忘れていた朝」、「ある日突然」、「虹と雪のバラード」、「エメラルドの伝説」など数々のヒットソングの作曲者として有名な方ですが、出版社やスタジオの経営者、プロデューサーとして日本のニューミュージックと呼ばれる音楽の創世記に、それを牽引する立場として最も成功を収めた方でもあります。
私が「赤い鳥」に18歳でドラマーとして参加したときには、村井さんは「赤い鳥」のプロデューサーであり、「赤い鳥」が当時、録音スタジオとして使用していた、アルファスタジオの経営者でもありました。
アルファスタジオは、当時、日本で最も音が良いと言われた最先端のスタジオで、私が「赤い鳥」に入った当時、そこで制作されたばかりのユーミン(当時は荒井由美)の「ひこうき雲」というアルバムを聞かせてもらって、細野晴臣さんがキャラメル・ママというグループで作り上げたその洗練された新しいサウンドに大いに刺激を受けたものです。ユーミンは、高校生の頃から村井さんと接触していて、村井さんのプロデュースの下、このアルバムが生まれたのです。
振り返れば、ちょうど私が中学3年の頃、「赤い鳥」や「トワ・エ・モア」が世の中に登場し、「忘れていた朝」や「ある日突然」などの曲を耳にして、それまでのいわゆる歌謡曲と呼ばれる音楽と違う、洋楽の香りのする音楽にとても心惹かれ、その作曲者である村井さんのお名前は、以前のブログにも書いたすぎやまこういち先生のお名前と共に、日本の新しいタイプの作曲家として私の脳裏に深く刻み込まれたことを思い出します。
そして、縁あって「赤い鳥」に参加することになり、そのあこがれの作曲家である村井さんと仕事をする事になったのです。
色々と思い出されることはありますが、「赤い鳥」にとっての最後のアルバム「書簡集」を制作するにあたって、メンバー全員で1週間ほど合宿して楽曲を作るということがありました。そして出来上がった曲を村井さんが聴き、プロデューサーとして公平な立場から村井さんの判断でアルバム用の楽曲を選定するということになっていました。そして、その時、最終的に、私の作曲したものがアルバム全12曲中なんと5曲も採用されたのです。
編曲もストリングスも含め、見様見真似でやったものを見ていただき、「これでいけるよ。」とのお言葉をもらい、作曲家として生きていく自信を持つきっかけになったように思います。
その後、「赤い鳥」が解散した折にも、「渡辺君は、作曲家で生きて行けるよ。」というお言葉をいただき、あこがれの作曲家からのこの言葉が大きな励みになったことは言うまでもありません。
その後、さだまさしさんとの仕事を経て、私が24歳でボストンに留学しバークリー音楽院で勉強していた頃、YMOの世界ツアーがあり、ボストンでの公演を聴きに行きました。そこで、ばったりとその公演をプロデュースしていた村井さんと出会い、「赤い鳥」解散以来5年ぶりの再会をしたのですが、今回は、その時以来30年近くたっての再会なのです。
表参道で待ち合わせをし、村井さんが運転するワインレッド色のベンツに乗って、村井さんが経営するスタジオを観に行きました。そこで、コーヒーを飲みながら、お互いの最近の作品が収録されたCDなどを聞き、色々と楽しいお話をしました。出会った当時には聞くことの出来なかった、村井さんがどのように作曲を始め、どのようにして出版社を立ち上げたか、世界的に活躍されている背景など、なんとも興味深いお話をたくさん伺いました。
お話の内容にも驚かされることが多々ありましたが、村井さんが2年ほど前にリリースした「COMPOSITIONS 村井邦彦オーケストラ」というアルバムの内容にも驚かされました。このアルバムは、「翼をください」などの村井さんの代表曲が収められていますが、ほとんど全ての曲が原曲のイメージと大きく異なるコンセプトのアレンジ(特にハーモニーについて)が施されており、驚かされるのは、オーケストラサウンドのほとんどがサンプリング音源を駆使して作られた、いわゆる打ち込み中心の音楽なのにもかかわらずとても完成度が高いということです。
注意して聞いていないと、本物のオーケストラと錯覚してしまうほど、その音源のクウォリティーが高く、打ち込み自体も非常に音楽的で正にオーケストラぽいニュアンスがしっかりと表現されているのです。
私が今まで耳にした打ち込みのサウンドとしては、最もリアルなオーケストラサウンドを表現する事に成功していると感じました。
この打ち込みを担当したTorben Oxbolというバンクーバー在住の方は、編曲、オーケストレーション、ギター、キーボードまで担当しており、素晴らしい才能を感じさせられました。
Larry Nickelという方がひきいる聖歌隊の合唱も編曲を含めて美しく、日本語もなかなかのものでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/b6/d7/j/o0500037512064875794.jpg?caw=800)
村井さんのスタジオ見学の後は、村井さんのお宅に伺い、11月に来日した村井さんの友人でもあるミシェル・ルグランさんもお宅を訪問された際に腰掛けたという椅子に座っての村井さんとの2ショットを奥様に撮っていただきました。
村井さんとお互いの今までの事などたくさん語り合ってお互いに共通していると感じた事は、多くの素晴らしい方々との出会いがあって、そのおかげで今があると言う事です。村井さんと18歳という若き時代に出会う事が出来、大いなる励ましの言葉をいただき、30年近くも経って、こうしてまた再会して幸せな時を過ごせたこのご縁に感謝せずにはいられません!本当に幸せで楽しいひと時でした。
11月1日のブログでミシェル・ルグランのコンサートに行った折に、何十年かぶりに村井邦彦さんにお会いした事を書きました。その後、メールのやりとりをして、是非ゆっくりと積もる話をしましょうということになり、16日にお会いしたのです。
村井邦彦さんと言えば、「翼をください」、「忘れていた朝」、「ある日突然」、「虹と雪のバラード」、「エメラルドの伝説」など数々のヒットソングの作曲者として有名な方ですが、出版社やスタジオの経営者、プロデューサーとして日本のニューミュージックと呼ばれる音楽の創世記に、それを牽引する立場として最も成功を収めた方でもあります。
私が「赤い鳥」に18歳でドラマーとして参加したときには、村井さんは「赤い鳥」のプロデューサーであり、「赤い鳥」が当時、録音スタジオとして使用していた、アルファスタジオの経営者でもありました。
アルファスタジオは、当時、日本で最も音が良いと言われた最先端のスタジオで、私が「赤い鳥」に入った当時、そこで制作されたばかりのユーミン(当時は荒井由美)の「ひこうき雲」というアルバムを聞かせてもらって、細野晴臣さんがキャラメル・ママというグループで作り上げたその洗練された新しいサウンドに大いに刺激を受けたものです。ユーミンは、高校生の頃から村井さんと接触していて、村井さんのプロデュースの下、このアルバムが生まれたのです。
振り返れば、ちょうど私が中学3年の頃、「赤い鳥」や「トワ・エ・モア」が世の中に登場し、「忘れていた朝」や「ある日突然」などの曲を耳にして、それまでのいわゆる歌謡曲と呼ばれる音楽と違う、洋楽の香りのする音楽にとても心惹かれ、その作曲者である村井さんのお名前は、以前のブログにも書いたすぎやまこういち先生のお名前と共に、日本の新しいタイプの作曲家として私の脳裏に深く刻み込まれたことを思い出します。
そして、縁あって「赤い鳥」に参加することになり、そのあこがれの作曲家である村井さんと仕事をする事になったのです。
色々と思い出されることはありますが、「赤い鳥」にとっての最後のアルバム「書簡集」を制作するにあたって、メンバー全員で1週間ほど合宿して楽曲を作るということがありました。そして出来上がった曲を村井さんが聴き、プロデューサーとして公平な立場から村井さんの判断でアルバム用の楽曲を選定するということになっていました。そして、その時、最終的に、私の作曲したものがアルバム全12曲中なんと5曲も採用されたのです。
編曲もストリングスも含め、見様見真似でやったものを見ていただき、「これでいけるよ。」とのお言葉をもらい、作曲家として生きていく自信を持つきっかけになったように思います。
その後、「赤い鳥」が解散した折にも、「渡辺君は、作曲家で生きて行けるよ。」というお言葉をいただき、あこがれの作曲家からのこの言葉が大きな励みになったことは言うまでもありません。
その後、さだまさしさんとの仕事を経て、私が24歳でボストンに留学しバークリー音楽院で勉強していた頃、YMOの世界ツアーがあり、ボストンでの公演を聴きに行きました。そこで、ばったりとその公演をプロデュースしていた村井さんと出会い、「赤い鳥」解散以来5年ぶりの再会をしたのですが、今回は、その時以来30年近くたっての再会なのです。
表参道で待ち合わせをし、村井さんが運転するワインレッド色のベンツに乗って、村井さんが経営するスタジオを観に行きました。そこで、コーヒーを飲みながら、お互いの最近の作品が収録されたCDなどを聞き、色々と楽しいお話をしました。出会った当時には聞くことの出来なかった、村井さんがどのように作曲を始め、どのようにして出版社を立ち上げたか、世界的に活躍されている背景など、なんとも興味深いお話をたくさん伺いました。
お話の内容にも驚かされることが多々ありましたが、村井さんが2年ほど前にリリースした「COMPOSITIONS 村井邦彦オーケストラ」というアルバムの内容にも驚かされました。このアルバムは、「翼をください」などの村井さんの代表曲が収められていますが、ほとんど全ての曲が原曲のイメージと大きく異なるコンセプトのアレンジ(特にハーモニーについて)が施されており、驚かされるのは、オーケストラサウンドのほとんどがサンプリング音源を駆使して作られた、いわゆる打ち込み中心の音楽なのにもかかわらずとても完成度が高いということです。
注意して聞いていないと、本物のオーケストラと錯覚してしまうほど、その音源のクウォリティーが高く、打ち込み自体も非常に音楽的で正にオーケストラぽいニュアンスがしっかりと表現されているのです。
私が今まで耳にした打ち込みのサウンドとしては、最もリアルなオーケストラサウンドを表現する事に成功していると感じました。
この打ち込みを担当したTorben Oxbolというバンクーバー在住の方は、編曲、オーケストレーション、ギター、キーボードまで担当しており、素晴らしい才能を感じさせられました。
Larry Nickelという方がひきいる聖歌隊の合唱も編曲を含めて美しく、日本語もなかなかのものでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/b6/d7/j/o0500037512064875794.jpg?caw=800)
村井さんのスタジオ見学の後は、村井さんのお宅に伺い、11月に来日した村井さんの友人でもあるミシェル・ルグランさんもお宅を訪問された際に腰掛けたという椅子に座っての村井さんとの2ショットを奥様に撮っていただきました。
村井さんとお互いの今までの事などたくさん語り合ってお互いに共通していると感じた事は、多くの素晴らしい方々との出会いがあって、そのおかげで今があると言う事です。村井さんと18歳という若き時代に出会う事が出来、大いなる励ましの言葉をいただき、30年近くも経って、こうしてまた再会して幸せな時を過ごせたこのご縁に感謝せずにはいられません!本当に幸せで楽しいひと時でした。
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