本日は、本年8月15日に89歳でご逝去された映画監督の松林宗惠(まつばやししゅうえ)氏のお別れ会がありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/b0/f0/g/o0350046712064867811.gif?caw=800)
場所は、東宝撮影所内の第8スタジオ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/fb/c5/g/o0460034512064867852.gif?caw=800)
入口近くには、このように松林監督の代表作のポスターと作品解説が展示されていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/8f/e5/g/o0440033012064867857.gif?caw=800)
私が音楽を担当した作品(関白宣言、勝利者たち)も含まれていて、当時のことをとても懐かしく思い出しました。
(他に担当した作品に「ふしぎな國 日本」、「ゴルフ夜明け前」があります。
「関白宣言」の時の御縁で、アメリカ留学を終えて帰国した翌年の昭和58年に声をかけて下さって音楽を担当したのが「ふしぎな國 日本」でした。)
ちなみにこの作品の主演は、さだまさしさんの弟の佐田繁理さん。ヒロインはこれが映画初出演の名取裕子さん。さだまさしさんも出演しています。
松林監督のご実家はお寺ということもあり、浄土真宗の僧侶としての資格もお持ちの方で、とても温厚なお人柄の方でした。
撮影現場などでも,常に「感謝、感謝だよ。感謝を忘れてはいけない。」というような事を口癖のように仰っていた事を思い出します。
私たちが普段あたりまえと思ってしまうような事、例えば、体が普通に動き、見て,聞いて,感じる事が出来る事などの様々な事、それもいつ何時、体が思うように働かなくなるかもしれない事を思うとき、お風呂などに入りながら、自分の体に対して、「今日もよく働いてくれてありがとう。」と感謝の想いを持ちながら体を洗うというような事を実践されている方でした。
昭和27年から平成4年までの間に70本の作品を監督された松林監督ですが、発起人の宇津井健さん、中井貴一さん、八千草薫さん、司葉子さんを始めたくさんの俳優の方々、政財界の方々も含めたくさんの方々が出席されました。さだまさしさんも京都へ移動する前に立ち寄って会が始まる前にお参りをされたそうです。
森繁久彌さん主演の社長シリーズのほとんどを監督され「映画は、大衆に喜びを与えるものでなければいけない。」という想いを貫かれた松林監督ですが、きっと、あちらの世界でも、大好きなゴルフを楽しみながら,新たな映画の構想を練られている事と思います。
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場所は、東宝撮影所内の第8スタジオ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/fb/c5/g/o0460034512064867852.gif?caw=800)
入口近くには、このように松林監督の代表作のポスターと作品解説が展示されていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120706/13/watanabe-toshiyuki/8f/e5/g/o0440033012064867857.gif?caw=800)
私が音楽を担当した作品(関白宣言、勝利者たち)も含まれていて、当時のことをとても懐かしく思い出しました。
(他に担当した作品に「ふしぎな國 日本」、「ゴルフ夜明け前」があります。
「関白宣言」の時の御縁で、アメリカ留学を終えて帰国した翌年の昭和58年に声をかけて下さって音楽を担当したのが「ふしぎな國 日本」でした。)
特にこの昭和54年に制作された「関白宣言」は、私にとって初めて映画音楽を作曲する事になった作品で、様々な当時の記憶が甦りました。
当時24歳でアメリカへ留学したばかりの時に、日本でさだまさしさんの「関白宣言」が大ヒットし、この映画が作られることになり、さださんが声をかけてくれて、この映画の音楽を担当する事に決まり、一時帰国をしての仕事となった訳です。
ちなみにこの作品の主演は、さだまさしさんの弟の佐田繁理さん。ヒロインはこれが映画初出演の名取裕子さん。さだまさしさんも出演しています。
松林監督のご実家はお寺ということもあり、浄土真宗の僧侶としての資格もお持ちの方で、とても温厚なお人柄の方でした。
撮影現場などでも,常に「感謝、感謝だよ。感謝を忘れてはいけない。」というような事を口癖のように仰っていた事を思い出します。
私たちが普段あたりまえと思ってしまうような事、例えば、体が普通に動き、見て,聞いて,感じる事が出来る事などの様々な事、それもいつ何時、体が思うように働かなくなるかもしれない事を思うとき、お風呂などに入りながら、自分の体に対して、「今日もよく働いてくれてありがとう。」と感謝の想いを持ちながら体を洗うというような事を実践されている方でした。
昭和27年から平成4年までの間に70本の作品を監督された松林監督ですが、発起人の宇津井健さん、中井貴一さん、八千草薫さん、司葉子さんを始めたくさんの俳優の方々、政財界の方々も含めたくさんの方々が出席されました。さだまさしさんも京都へ移動する前に立ち寄って会が始まる前にお参りをされたそうです。
森繁久彌さん主演の社長シリーズのほとんどを監督され「映画は、大衆に喜びを与えるものでなければいけない。」という想いを貫かれた松林監督ですが、きっと、あちらの世界でも、大好きなゴルフを楽しみながら,新たな映画の構想を練られている事と思います。