本日は、洗足学園大学でのレッスンがあり、夜は、八芳園にて、洗足学園音楽大学・短期大学の新体制披露パーティーがあり、私も参加してきました。

たくさんの先生方が参加していましたが、中には、日頃、録音やオーケストラとのコンサートなどでご一緒している演奏家の方々も参加していて、お互いにこの学校の教師とは今まで知らず、思わぬ出会いに楽しい時を過ごしました。

さて、以前から時々お知らせしていますが、私の青山学院高等部時代の音楽仲間であった1年後輩の岡田薫君が、何回か私との高等部時代の思い出を4月21日のブログのコメント欄に書き込んでくれていますが、コメント欄があまりに長大になって読みづらくなって来たので、また、新しく書き込んでくれたものも含め、ここにまとめさせていただきます。

私自身、かろうじて覚えているような事柄も含め、彼はとても良く記憶していて、またその描写がなんともユーモアにとんでおり、私も思わず笑ってしまう内容になっていますので、楽しんでいただけるかと思います。





生真面目な性格の渡辺生徒会会長から、何を書いても良いと、早々の許可を頂きました。一回に全部書き込む事は、難しいので、何回かに分けて書きたいと思います。

初 めて、渡辺さんと出会ったのは私が高校1年生の時でした。渡辺さん、矢野顕子先生、田尻さん(上の写真でベースを弾いている方)は一年上の先輩方々でし た。矢野顕子先生が突然私のHRに入ってきて、バンド作るからちょっと来いと言われ、行った所に渡辺さんが居ました。それが、初対面でした。

一 番の印象は、この人何者だろうと言う感じでした。と言うのは、その当時から、ロンゲで、なんと説明したら皆様に伝わるか分かりませんが、黒ブチのロイド眼 鏡のフレームを上からつぶして細くした様なフレーム中に、その当時じゃサングラスと言われてもおかしくない位の、、、なんとブルーのレンズが入っている じゃーないですか。でも優しそうな目が覗き込むとレンズの向こう側に見えました。

やたら、‘‘うん、うん’’と縦に首を振ってうなずいているのを見て、
赤べこ(赤い牛の首振りおもちゃ)を思い出させてくれました。矢野顕子先生は、ブラウスを胸まで思いっきり空けて(後に渡辺さんのエピソードあり)超ミニスカート、田尻さんは20年は先取りのドレッドヘア。

こ の人達に呼び出され、JAZZ BANDを作ると言われても、実感が沸きませんでした。さて、渡辺さんが生徒会会長になって、前代未聞な事をしでかしたのは、、、一年間だけ、我が青山学 院高等部の制服を無くし、自由にさせた事です。生徒会で決めて、先生方の反対を跳ねのけ、‘‘うん’’と言わせてしまった事です。当時の新入生は、その当 時じゃ有り得ない様々な自由な格好で登校!!あまりのひどさに、生徒会会長は、‘‘これはマズイ’’と責任を感じ、一年で廃止する様にご苦労していたのを 思い出します。長くなりましたので、この続きは次回にしたいと思います。まだまだありますよ!!生徒会会長がこんな事して良いのかと言う様な事が。
| かおる | 2008/04/24 10:02 PM |


渡辺さんのブログなのに、いい気になってこんなに書きこんで良いのでしょうか?でも、渡辺さんが‘‘ブログに書き込みありがとう。好きに何でも書き込んでいいよ!盛り上がってください!’’とメールくださったので、躊躇なく書き綴ります。

母 校、青山学院高等部では、体育祭(バレーボール大会程度)、文化祭、文化祭の後夜祭、オリジナルコンサート(自作自演のコンクールがあり表彰される)、他 色々ありますが、文化祭の後夜祭だったか、単独の盆踊り大会だったか定かではありませんが、そのときのエピソードを、、、。

僕は、その当 時の彼女(後でエピソードに出てきますが、今でも渡辺さんのお陰で、僕の美容室のお客様です)の浴衣姿に見とれていると、後ろから、例の青サングラスの生 徒会会長が僕の方をポンと叩き、‘‘うん、うん’’とうなずきながら、‘‘岡田、オレこれからコンサート見に行ってくるわ!’’と、、、、。

‘ ‘チョッと、あんた生徒会会長でしょ’’と言おうとして振り返ったらもうすでに後姿で、俳優のように、手を振って立ち去って行きました。カッコ良いという か、無責任といおうか、、、まぁ、その辺が青サングラスさんの青サングラスさんらしいところかもしれません。何のコンサートに行ったかは、青サングラスさ んに聞いてみてください。ジャズ系ではなく、もろロック系だった記憶があります。

もうひとつ、オリジナルコンサートについて書きます。

僕 が中等部の3年生のとき高校生1年生だった、矢野顕子先生が、その年のオリジナルコンサートに於いて、A SONG FOR YOU という曲で優勝しました。その翌年渡辺さんは、初参加され、‘‘波に消えたひとつの貝がら’’と言う曲と‘‘THE BEACH’’と言う曲、2曲を出されました。結果は言うまでもなく、渡辺さんの曲が優勝でした。‘‘THE BEACH’’と言う曲が優勝したのですが、なんととぼけた作曲者でしょう。‘‘波に消えたひとつの貝がら’’の作詞者の名前が(もちろん本人ですが)不 乱子州 礼(フランシスレイ)となっているではありませんか!!この頃から映画音楽にハマっていたのかもしれませんね。ここが原点だったのかもしれませ ん。

翌年も、当然の如く渡辺さんが優勝しました。曲目は‘‘雅像’’という曲でした。2年連続優勝です。ちなみに優勝曲のピアノは僕が弾 かせて頂きました。すごく難しい曲だったと思います。練習でいつもと違う渡辺さんにしごかれた覚えがあります。(優しかったけど、かなり厳しかった。マジ になっていた様な気がします。

当時譜面を読むのが苦手だった僕に、ふきょうわおんのごちゃごちゃに書かれた楽譜を読ませました。)音楽の先生で もうお亡くなりになりましたが、砂山という有名な綺麗な曲を、この世に残した越谷先生と言う方が審査委員長でした。その先生が、‘‘曲もさることながら、 こんな素晴らしく完璧なスコアーを出してきた生徒はいないと、大絶賛でした。ちなみに僕はこの時2位でした。渡辺さんが良かったねと優しく声を掛けてくれ たのを今でも忘れません。

不覚にも涙が出てしまいました。2位だったからではありません。どうしてかはこの次にお書きします。ちなみに、 次の年、3年になった僕は、矢野顕子先生も、青サングラスの生徒会長もいないので、しっかり優勝させて頂きました。後にすごいと思ったのは、渡辺さんが集 めたバンドのメンバーで、4年間オリジナルコンサートを制覇?した事です。プロデューサーでもイケルんじゃ?なんて思っています。長くなりましたが、今日 はこの辺で、、、、
| かおる | 2008/04/26 7:46 PM |


渡辺俊幸さんのブログファミリーの皆様、訂正とお詫びをさせて頂きます。
前 回の書き込みの中で〔砂山〕と、思い込みで書いてしまった曲の事ですが、まみさまからの御指摘の通り〔初恋〕でした。と言いつつ、まだ砂山の印象がとれま せん。涙の訳編ですが、僕は他の事(勉強等)はともかく記憶力はかなり自信がありますが、何せ35年も前の事、間違っていたら、ゴメンナサイです。実はそ んなに大した事では何のですが、そのオリジナルコンサートのリハの時の事です。

多分渡辺さんは覚えていないと思うのですが、何回かリハー サルなる物をやりました。(前に書いたとおり、かなりマジでした)僕はオリジナルコンサートは、渡辺さんが獲る物だと確信していたので、自分の曲は数学の 時間中に楽譜を殴り書きして、提出し、リハなんぞしませんでした。前にも書いた、付き合っていた当時の彼女とうまく行っていた時に書いた、楽しくてたまら ない時の曲を書き、渡辺さんに、リハの時に聞いてもらいました。例の‘‘ウン、ウン、’’‘‘言い曲だね!と言ってもらっていたのですが、その数日後に別 れ話が出て、一気にブルー!!。どう言う訳か渡辺さんに相談したんです。‘‘あんな曲、今の心境じゃ弾けない’’と言う事を。
渡辺さんは ‘‘今の彼女への思いを曲にぶつけてみたら’’と言ってくれました。そしてどのような経緯か忘れましたが(僕が頼んだのかもしれません)、彼女にその事を 話に行ってくれました。結果、2位でしたが、PSホールと言う講堂の出口の階段ですれ違った彼女がニッコリと笑ってくれて、、、

その後中 庭のロータリーで渡辺さんが‘‘よかったね!!’’と言ってくれた時に、何か分からないけれど、涙が出てきてしまいました。渡辺さんのお陰で、その後2年 間彼女とお付き合いし、縁が無く、結婚にはいたりませんでしたが、今では、ヘアーカットに来てくれたり、一緒に結婚式の仕事をしたり、ウチの息子と、彼女 の娘が食事に行ったり、しまいには、娘さんの結婚式でピアノを弾いたりと、今でも仲良くさせてもらっています。渡辺さんに感謝!!と言うつまらないお話で した。長くなって申し訳ありません。全然渡辺さんの話じゃなかったですね。次回はちゃんと、ロックのコンサートにオルガンで引っ張られた時のお話をしま す。皆様失礼を致しました。| かおる | 2008/04/30 11:43 AM |

またまた失礼致しました。良い曲だねと書くところを、言い曲だねと書いて島氏、国語力の無さを露呈してしまいました。ただ言いたかった事は、生徒会会長は、優しくて、温和な方だという事です。皆様方の方が良くご存知でしょうが、、、、。| かおる | 2008/04/30 11:52 AM |

長ーー いゴールデンウィークをとっている方は別として、一応、巷は動き始めました。ちょっと間が開いてしまいましたが、渡辺さんも、僕の事についての第二段を書 いてくださったので、悪い頭の中の鮮明な記憶を蘇らせながら、オルガン事件(と言う程の事ではない)を書きます。その前に、この書き込みを、僕の想像して いなかった方が見ておられるという事を知り、うかつな事は書け無いと思いつつ、真実をお書きします。

2年生だった頃だと思います。渡辺さんから、岡田ちょっとロックバンドなんだけど、手伝ってくれない?と言われ、勿論断る理由も無い、音楽の手伝いと言う事で、渡辺さんの家へお邪魔しまし た。そこにいた方々は、今まであまりお会いした事の無いと言うか、お付き合いした事の無いタイプの方々だったことを思い出します。渡辺さんは、前記の通 り、その頃からのロンゲ。ギターの人もロンゲ。ベースの方は、僕の記憶が正しければ、スキンヘッドか凄く短いボウズ頭。背が高く、ちょっと危なさそう な雰囲気を持った人でした。名前は失礼ながら覚えていませんが、いかにもロック屋さんっぽい人たちでした。

言い忘れましたが、実は僕は体 育会系なので、髪の毛は伸ばせずショートでした。後で笑い話を書きますが、、、、。渡辺さんがバンマスではなかったようで、かなりその方達に気を使ってい るように思えました。じゃ、、と言うことでバンドの練習が始まりました。2~3週間後に青山のタワーホール?とか言うところで演奏する為の練習だったよう です。一番ビックリした事は、渡辺さんに‘‘譜面は?’’と聞くと、‘‘無いよ!’’と言われどのように演奏するのか分からず‘‘どんな曲?’’と聞いた ら、ベースの人が、‘‘ここはこんなコードで、こんな雰囲気!ここはこういう仕掛けがあるから覚えて!’’ってな具合でまあなんとロックっぽいと言うか、 何と言うか、こりゃ大変な事を引き受けてしまったと思いました。

練習中のことは書くと、延々明日まで書けそうなくらい色々な決め事を覚え させられたと言う記憶が蘇ります。渡辺さんが気を使ってくれてか、一曲、僕の知っている曲で、渡辺貞夫さんの作曲したパストラルと言う曲を入れてくれまし た。こういう曲になれば水を得た魚状態で、目をつぶっていても引けるのですが、オリジナルのロックの曲は、始めから終わりまで、サインを送ってくれる渡辺 さんの顔を見、ベースの人のアクションを見、緊張の連続だった事を思い出します。ジャズピアノ弾きが、ロックのオルガンを、しかも知らない曲ともなると、 非常に良い勉強をさせてもらいました。1回ごとにアレンジが変り、口約束で憶えていくのには、ビックリさせられました。

渡辺さんに‘‘僕 出来るかな~~’’と1回目の練習の時に言ったら、‘‘こんなのも、たまにはいいんじゃない?後1回練習あるからさ’’とあっさり言われました。渡辺さん に‘‘当日はそれっぽい格好をしてきて’’と言われたものの、先ほど書いたようにインターハイをねらっていた体育系ショートヘアの岡田薫がとってつけた ロックっぽいTシャツにその当時流行のパンタロン?(ベルボトムってヤツ)を身に着けても、浮いて、浮いて、恥ずかしかった。

渡辺さん は、ロックの要素がもうその時からあったと憶えています。それなりのロックの格好をしていたし、僕から見ればハデだった。青学の生徒も見に来ていて、‘ ‘似合わねーー’’と笑われました。このときはさすがに渡辺さんを始めて恨みました。そんな事はどうでも良い事で、その時のトリ(メイン)のバンドは、 ハッピーエンドでした。ジャズしか知らない僕は渡辺さんにあのバンド有名なのと聞いたら?渡辺さんもあまり知らなかったみたいです。その後彼らのメンバー がYMOを結成するとは思っても見なかった。ともかく本番は上手く行ったのではないかとと思います。渡辺さんは冷や冷やだったと思いますが、終わってから ロビーのところで‘‘ウン、ウン、楽しかったでしょ!よく出来てたよ、ロックもいいでしょ’’と優しくねぎらってくれました。とこんな話でした。渡辺さん 譜面くらいは書いてくださいな!!| かおる | 2008/05/09 6:11 PM |