昼食を食べつつ見ていたNHK「スタジオパークからこんにちは」の本日のゲストは、作詞家、作家として多才に活躍されているなかにし礼さんでした。

なかにしさんが作詞を手がけた楽曲は4千曲近くあるそうですが、歌謡曲の作詞を手がけるようになる経緯が非常に興味深かったのでご紹介します。

なかにしさんは、お父様を早く失い、経済状況が苦しかった事もあり、自分で働いたお金で大学に入学しても結局,学費を滞納する事になり,その度に退学になり、それにもめげずに3度目の大学入学を果たした頃は、アルバイト先のお店で聞いたシャンソンに感動し、それがきっかけでシャンソンの訳詞をすることで、お金も回るようになったとのことです。

そして、そのころ最初の結婚をされたそうですが、その新婚旅行で行った下田のホテルに、たまたま石原裕次郎さんが「太平洋ひとりぼっち」という映画のロケのために宿泊されていたそうです。

夜になり,ホテルのバーへ新妻と共に行くと、そこに裕次郎さんがいて、なぜか、面識がないのにも関わらずなかにしさんに対して自分の方へ来いと手招きされたので,行ってみると、裕次郎さんが「君たちは,新婚か?」と尋ねたそうです。

なんの事かと聞いてみると、その時期、新婚カップルの多いホテルの中で、裕次郎さんは、新婚のベストカップルを自分で決めてその優勝者とその晩に飲もうと決めていたそうなのです。
ということで、きっと見栄えの良かったなかにしさんたちのカップルが選ばれ、その晩、色々と話をしたそうです。

そして、なかにしさんが、シャンソンの訳詞をしている事を話すと、日本の歌謡曲の作詞をする事を勧められ、もし作品が出来たら自分のところへ持って来るように言われたそうです。

それまで、歌謡曲に関心を持たなかったなかにしさんですが、その後、裕次郎さんと必ず見ると約束をした「太平洋ひとりぼっち」の映画が上映された時に観に行き、最後の方で、太平洋の真ん中でヨットの中で裕次郎さんが扮する主人公が一人、ラジオから流れる「王将」を聞くシーンに非常に感動したそうです。

そして、日本の歌謡曲も良いもんだと感じ、自分で作詞作曲した「涙と雨にぬれて」を裕次郎さんの事務所に持っていったところ、その事務所の所属タレントであった「裕 圭子&ロス・インディオス」が歌う事になり、最初のヒット曲となったというのです。

そして、さらに裕次郎さんの口利きで、その事務所の所属であった黛じゅんさんの作品を次々に手がけヒットを飛ばして行ったというのです。

人の運命の分かれ道には,時には不思議と思えるほどの偶然とは言い切れないような人との出会いが大きく関わっていると思いますが、とても興味深いエピソードなのでご紹介しました。