2016年3月6日(日)
R-1ぐらんぷり2016
ハリウッドザコシショウが優勝した。

ハリウッドザコシショウと出会ったのは2005年にSMAに入った時。
その前に吉本のライブで会ったことはあるが話なんかはしたことがなかった。
その時のハリウッドザコシショウはまだスキンヘッドではなく鉄拳の平八みたいな髪形をしていた。
初めて挨拶をした時、
「おう。で、お前の嫌いな芸人誰だ?」
とデリカシーの欠片もない質問をされ、正直に答えたら笑ってた。
それからバイきんぐさんと共によく一緒にいた。

ハリウッドザコシショウとバイきんぐさんがユニットライブを立ち上げる。
「やんべえ」
伝説のライブ。
ハリウッドザコシショウ、バイきんぐさん。
そして手伝いのメンチと私。
始まりは5人。
銭湯の上の会場から伝説は始まった。
伝説の始まりを見たお客様は9名だった。
ユニットコント、企画、どれも凄まじかった。
まさに鬼畜にも劣る所業。
第二回かな?
受付に飾っていた熱帯魚。
女性客が「かわいー」と水槽を覗きこむ。
くじに書いてある罰ゲームを行うだけの企画でハリウッドザコシショウの引いたくじには「ドリンキングニモ」と書いてあった。
ハリウッドザコシショウは受付の熱帯魚をコップに移して飲み干した。
客席からは悲鳴と爆笑。
本人は嗚咽。
その日の打ち上げで刺身を頼んだら
「もう魚見たくねーだー」
と泣き言を言っていた。
「やんべえ」の最初の頃私はカメラ係だった。
会場の後ろに立ち、カメラを手持ちで録画する。
しかし笑いすぎて手振れが酷い。
最初の頃はまともに録れてなかったので、ある日黙って三脚を渡された。
千葉のショッピングモールでやったこともあった。
家族連れの前でショートやんべえや面白食いコンテスト。
EDでAV流したのも痛快だった。
大阪も行ったな。
一夜限りのG☆MENS復活。
伝説が伝説で復活した夜。
「やんべえ」は思い出がありすぎる。
色情的で猟奇的で無意味な伝説。
またやるだろう?

前のコンビを解散してから私は1年くらい何にもしてなかった。
口には出してないが漠然と芸人やめようかなーなんて考えていた。
そんなある日、ハリウッドザコシショウから飲みの御誘いがあった。
たしかけっこう久しぶりに会ったと思う。
くだらない話なんかして二人ともベロンベロンになった。
朝方もう帰ろうとした時、ハリウッドザコシショウは私の腕を掴み、
「おい!お前辞めんなよ!ライブ出ろよ!お前と一緒に舞台に立ちたいんだよ!」
不器用な男の引き留め方は本当に不器用だった。
次の日、私はピン芸人の登録申請をした。

単独ライブもずっと見てきた。
だいたい一公演4時間弱やる。
帰りに「長いよ!」とお冠のお客さんのアンケートに大きな字で「おもしろかった!」と書かれていたことがあったな。
「長いか?じゃあ来年から半分ずつ2日公演にするか!」
翌年二日とも4時間を越えていた。
ハリウッドザコシショウの単独ライブはネタ作り、チラシ、映像、音響、チケット作り、特典作り、予約受付、出演、全てハリウッドザコシショウが一人でやる。
本当の単独ライブ。
その全てに笑いがある。
「来た客は絶対に笑わせる。」
芸人のなかで一番お客さんのことを考えているのはハリウッドザコシショウだ。

辛いことや悲しいこと、全てを笑いに変えてきた。
これからもそうだろう。
人生の全てを笑いに捧げた男。
そんなハリウッドザコシショウが今年のR-1ぐらんぷりで優勝したのは当たり前のことである。

改めて、ハリウッドザコシショウ師匠おめでとうございます。