昔あるテレビ番組での視聴者からの投稿で、

「家のお父さんは変なんです。
フランダースの犬にとても弱くて、
子供に絵本の読み聞かせをしていても、
まだまだ全然悲しい場面でも無いのに号泣します。
アニメの主題歌が流れて来ただけでも泣きます。」

というものがあって、
その家で隠し撮りしたVTRが流された。
いかついお父さんが「ネロはその犬にパトラッシュと名付けました」
くらいのところからおいおい泣いて、
更にはアニメの「パトラッシュと歩いた~♪」というくらいでもう涙腺が緩んでいた。

私、、、「あ、同じ病気のひとだ!」と思った。
この文章を書いていてもちょっとヤバい感じです。
パブロフの犬はよだれだけど、フランダースの犬は涙?
ほとんど条件反射に近いです。

といってもフランダースの犬というのはその代表で、
もともと「動物もの」にはとても弱い。
水道の蛇口くらい簡単に涙が出ますね。
なので、あえて見ないようにしている。
例えば「飼い主と別れた犬が何百キロの道のりを旅して、、、」みたいな話。
見て自分がどうなるかが予め想像出来るので、
ぜーーーーーーーったい見ません。

と、そんな私だけど予測出来ず見てしまうこともありまして。
この前朝の情報番組をつけていました。
この時間帯は特になにも疑いもせずいつも同じチャンネルがついている。
見るともなしに惰性で流れている感じなのだけど、
たまたま海外からの映像もコーナーで、
アメリカのとある町でひどく人間を警戒してえさも食べず、
近づくと隠れてしまう捨て犬(小型犬)の話を放送していた。
何かきっと人間によって辛い目にあったのかもしれないが、
このままでは弱って死んでしまうと、地域のボランティアのひとが犬を保護することに。
逃げ回る捨て犬を捕獲したときには、もう怯えて鳴きまくっていたが、
優しく頭を撫でると少しずつ変化が。

汚れてからみついた毛を刈って手入れをしたり、
餌を食べさせたりするうちにすっかり人間への信頼を取り戻し、
そこの施設にいる他の犬と元気にかけまわるまでになりました。

うっかりそんな映像を見てしまったが、
家にも似たような経緯で保護して飼っているたんたんという猫がいるので他人事では無い。
胸が一杯になってしまって「良かったね、、、本当に良かったね」と思ったとき、
スタジオにカメラが切りかわった。
そのときメインキャスターが言ったひとことが

「まあ、捨て犬でこの犬みたいに幸せになれる犬なんてそういないね」
(記憶が不確かだけど)

え、、、、
いやいや、別にこれ以上の感動を与えようという美辞麗句を期待してはいないけど、
これはちょっと。
思わず涙もひっこんだ私です。

たかだか番組の中の数分の映像だけど、
それが私たちの目に届くまでにはたくさんのひとを介していると思う。
この映像を記録したひとや、
それを見つけたひとや、
それを放送しようと決めたひとや。
そのひとたちが私たち視聴者に発信したかったことって何なのだろう?
それに対して数秒の間にひとことだけコメントするのであれば、
どんなひとことが良かったのだろう?

そう考えると、
はっきり言って「最悪!」なコメントだと私は思う。
(気にならないひとは気にならない。でも私は先に書いた様に”病気”を持っているのでスルー出来ず)


とっさにひとこと!っていうのは非常に難しいし
私も苦手。
いざというときは良い事を言わなきゃみたいな気持ちが邪魔して
結局何も伝わらないで終ったりすることがある。
後から考えてみて「あ、こう言えば良かった」と反省すること多々。
だからひとがそんな瞬間に「おー」とおもうようなことを言うと、
ひたすら尊敬!
事前に考えてとか時間をかけて話すのでなく、
瞬時に的確なひとことを言えるひと。
そういうひとになる為にはどんな修行をしたら良いのかと
常々思っている。

とっさのひとことが的確なひと。
これ、目標です。
やっぱり修行かな。