父の人生の卒業と古い私の卒業とそれぞれが新しいステージへ旅立つ | The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

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愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察や赦しにより道中で得た『叡智』を分かちあっています。

こんにちは。
今年はすごい勢いで春がやってきていますね。
集合意識は、コロナによって行動などが制限されていた蓋が一気に開いてしまっているようで、波動も荒くバァーッツと上昇したり、ワタワタ落ち着かない感じとして、私の中では受け取られています。
また、地球の波動上昇もあるからだと思いますが、私自身もうっかり無自覚なままでいるとはまり込みやすくなる大変な時に入っている気がします。

多忙だったため、ブログの更新ができずにいました。
実は父が3月1日に人生を卒業しました。
多くの学びがありましたので、学びを分かち合っていきたいと思います。
まずは父の卒業と古い私の卒業の話、そして、ドラマの限界から気づいたことなどを書こうと思います。

🌿父の卒業と古い私の卒業、それぞれが新しいステージへ

死亡したのは3月1日だったのにもかかわらず、葬儀は火葬場の都合などがあり、11日のちょうど東日本大震災が発生した日に行われることとなりました。
不思議なシンクロで、地震発生の時間と同じ時に火葬が終わりました。

他にもシンクロがあり、それらを見て、後から先輩と話をしていました。
「一体、何が終わったのだろうか?」と。
どうやら、「古い自分も終わった」のだろうと思いました。

2007年に私と先輩が他の仲間とスピリチュアルの事務所を立ち上げる直前に、私の父は肺気腫になりました。
2011年の東日本大震災の数か月後に私は統合失調症と診断されました。
2023年3月のコロナを終え、このタイミングで父も亡くなりました。
私が、父が亡くなる直前に「ああ、私は生まれ変わってきたようだ」と思い始め、また、「そろそろスピリチュアルを仕事として再開の準備をやってもいいかな」と思い、その直後に他のある気付きを得た次の日に、東京に呼ばれました。
その次の日に父は亡くなりました。

東日本大震災とコロナの発生、これらの出来事により、社会では大きな価値観の変換を迫られました。
私自身もそうでした。環境問題への取り組みや、田舎暮らしについて、本格的に取り組むよう流れができてきていました。
また、統合失調症になることで優劣意識の均しも激しくなり(統合の流れが激しく感じた)、古い価値観にしがみつきたい気持ちと新しい世界へ進みたい自分が拮抗して、精神的に葛藤の絶えない日々でした。
電車の路線変更のような貴重な時でした。

私自身の内的外的な大きな変化の時期となり、これを神の愛(宇宙法則)で生きるために生まれ変わりはじめました。
この16年の一連の出来事は、私の人生(生き方、価値観、視点)をそれまでとは大きく変える時期でした。
この間、父に経済的にも時間的にも守られ、心の癒しと新しい物の見方訓練をしながら、統合のための土台作りをさせてもらえたのでした。
父は、私のこの目覚めの時を待ってたように最後の役割を終えたようにみえました。

父の命が終わる一日前には、幸いにして面会ができました。
父は苦しそうで何も反応しないぐらいすでに半分逝きかけていたのですが、聴覚だけは最後まで残るので、私は父に最後の挨拶をし、感謝の気持ちを色々伝えることができました。お互い、何か「成し遂げたね」と思っていたようにも感じ、父へのお礼とお別れを言った後、泣けてしまいました。父も、ホッとしてくれたように思います。
次の日の早朝、病院で父がちょうど息を引き取る時間には、私は実家で般若心経を読み上げていたようでしたが、父が肉体を離れる時を手伝っていたようでした。
その後病院に駆け付けたときにはすでに、亡くなっていました。
私は、父をしっかり見送れた感じがして、満足する所がありました。

あれから、約ひと月経ちました。
地上の私と母は、父が亡くなった後の手続き関係で猛烈に忙しかったのですが、先輩によれば、父は父で四十九日までの間は生きた日々を振り返っているようです。

さて、私が気づいたことや学びを、分かち合いたいと思います。

🌿父の入院ドラマの限界(と、検証と学び)

父は16年前から、肺気腫を患っていました。それが直接的な死因ではありませんでした。
死ぬひと月ぐらい前の最後のコロナの大波により、院内感染によりコロナにもかかってしまいましたが、一応乗り越えた後安定していたのですが、その後突然、左肺だけ誤嚥性肺炎になり、亡くなったのでした。
入院してからは、肺炎にかかり続けて、治ってはまた肺炎を繰り返し、体は疲れ切ってしまっていたのでしょう。
最期は、母が予期していたように、段々と弱っていき、亡くなったのでした。

振り返れば、父が入院した昨年の10月からの4か月間、私と母と父の間で、父を取り巻く入院のドラマが激しい展開になっていました。
いつもハラハラしていました。
それは、私の中で、ある気付きを得て、何かを手放そうと気持ちを固めれば、なぜか、父は容体が悪くなったり。
母がTVで父が治る方向性に向かうことをみせられたかと思えば、父の現状はそうでない方向性に行ったり。
私も母も、父を自宅で介護しようと決意を固め始めたところで、父は亡くなってしまいました。

ところが、実はこのタイミングで亡くなった事が「それぞれにとってベストな結果であり、お互いが限界を迎えた、ということだった」ようでした。

~神の采配とは
  -「父と母の魂の方向性をサポートしたい」と願い、叶った結果と後悔


よく、「あの時ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔することがありますね。
父が亡くなってから、私の中にも後悔の数々が沸き上がりました。
今日この記事を書いているうちに、「それらは、枝葉の部分であり、本質的な部分にはそれほど関係がない」と見えくると、後悔やそこから出てくる悲しみが、だいぶ整理されてきました。

先輩はこのようにアドバイスしてくれました。

「10段階ある可能性の選択肢の中の、4番目か3番目の選択肢を取ったかもしれない。
全体(神の視点)から見たら、3番目も、8番目も、そんなに大きく変わらない結果になる」

という事でした。
そういう意味では、それも「枝葉の部分」のこだわり、ということなのです。
枝葉の部分・・・というのは、例えば「方法の違い」にあたります。

例えば、父を病院から出して自宅に早く連れ帰って来て、母と一緒に父が食べられる食事を作って介護してあげよう・・・という選択肢が一つありました。
そういうのは、様々な可能性の中で一つとしてあったことはわかっていました。
病院の先生は、自宅で面倒を見るのは、たぶん大丈夫、かえって良くなるかもしれない、とまでおっしゃってくれていたのです。
私も、介護もしたことがありませんでしたが、自分や母や父の魂の成長につながるのならやろう、と決意をもち始めていました。
母と二人で、介護ができるなら、思い切ろうか、どうしようか、と悩んでいるうちに、父は亡くなったのです。

後から、よく振り返って自分たちの状況を観察してみました。
父には、まだ「内なる神」の認識が全然できなかったこともありますし、場所を変えても過去の延長で苦しみがまだ続くのなら、もうタイミングを見て病院でもいいから死にたいと考えていたかもしれません。
一方、母もスピリチュアルには少し馴染みがあっても、いざとなると受け入れられなかったり、新しい方法にも協力的に見えていましたが、これも及び腰になったり、猜疑心にまみれたり、半分は年を取ってきた自分が介護を続けることに気が向かなかったようでした。
私も、遠方から週の半分は駆けつけて、かなり頑張って父の面倒を見て、母をも支えることになったのだろうと思いますが、体力的精神的にかなりキツかったのだろうと思います。

「魂の最高最善」や「父と母の魂の方向性をサポートする」と願っていましたが、それは、私の思っているような感じではなく、「それぞれのその時の学びや意識レベルに沿った形で叶った」ということなのか、とわかりました。
だから、「ドラマは限界を迎えて終わりになった」ということのようでした。
しかし、それぞれが、そのドラマを経て、学びになったのであれば、それでいいという感じのようです。
喜びなのか、悲しみなのか、よくわからない感じもしました。

その人が良しとするやり方なら、実はどれでもそれほど大きな違いはない、「本当にまだ生きる必要があるなら、生かされる」ということのようです。
「神の采配」と言うものはそのようであるようでした。
それがまた、「魂の方向性をサポートしたい」という、私の願いの答えだったようです。

~「御言葉-バガヴァッド・ギーター」から~

出典 神の詩 バガヴァッド・ギーター 田中 嫺玉訳


生れたものは必ず死に、死んだものは必ず生まれる
必然、不可避のことを嘆かずに、自分の義務を遂行しなさい


私は、父と実家で過ごした期間が長かったために、亡くなったことはチームメートが亡くなったようにも感じられ寂しく思うのですが、前向きに捉えなきゃと思いました。
これから、また、スピリチュアルの事務所を再度立ち上げるための準備に入ります。

父の卒業と共に、私も古い自分を卒業する時が来て、新しいステージが用意された、ということだったようでした。

今回もお立ち寄りくださり、誠にありがとうございました。
今回は、どちらかと言えば報告(または、自分のための記録・備忘録)に近いものでしたが、何か選択に迷うことがあれば、参考になることもあるかと思いました。
何か参考になったことがあれば、幸いに存じます。

🌿音楽のおまけ-BWV82「私は、満ち足りた」 5.アリア、死への憧れ

この曲は、前にもご紹介したことがあります。
この曲をかけて、父の棺に花をみんなで入れてあげて見送りました。(葬儀は仏式でしたが)

イエスの誕生を長いこと待ち焦がれ、自分の役割を終えた牧師さんが、「もうこの世の中にいることはない」と、魂の安らぎを求め、天へ帰りたいと思っているという内容の曲です。
イエスが誕生したことも素晴らしいですが、この牧師さんも魂がもってきた役割を果たしたことも素晴らしいと思いました。
歌詞とは違いメロディーからは、牧師さんが、長い人生の、時に危険だった、その役割を終えた充実感も感じられ、ホッとして、あの世にあこがれを抱き、自分が帰る時を待ちながらまどろむ感じが伝わってきます。


詳しい解説はこちらでどうぞ

那須田務さん、音楽評論家 のサイト



・・・・・・私は、私と父とのドラマをこの曲に投影してみちゃいました。「これも、天の計らいかな!」なんて調子に乗っていました。

すると、先輩から、「それぐらいしないと、あなたが、スピリチュアルの勉強のやる気を持続できないから、仕方ないなぁ~と言って、演出してくれたんだよ!」

と落とされてしまいました!(^▽^;)!!(^▽^;)(^▽^;)

 

このアリアは「まどろみのアリア」と呼ばれる、人気のある曲です。

どうぞお楽しみください。

動画

先月聞きに行ったバイオリニスト佐藤俊介さんがコンサートマスターのNetherlands Bach Society から拝借させていただきました。この曲の5番のアリアはいろんなバージョンがありますが、1番バスパートのバージョンが素敵です。


歌詞

5.アリア

ー死への憧れ:悲哀の終結ー

私は、私の死を待ち望んでいる。

ああ、早くその時が来れば良いのに。 

  そうすれば、すべての苦しみから逃れるのだ、

  この世で私を縛っているすべての苦しみから。


(BCJ カンタータ全曲シリーズVol.41より拝借)


🌿おまけの写真と思い出話


父の座っていた食卓の席に、母と2人で握ったおにぎりを箱に詰め、使っていたお箸をつけて、撮影。

葬儀の最後に、このお弁当は棺に入れてあげました。向こうで食べてくれたかな。