赦し・理解のフィルター構築ができてきた―過去から引きずっていた大きなことの赦し | The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

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愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察をコンパスに、道中で得た『叡智』を分かちあっています。

こんにちは。
きつい冬の寒さの続いた当地でも、自然界では春の訪れが感じられるようになってきましたが、その芽吹きのエネルギーにともなって、人々の内的に蓋をしていたものがあふれ出てきているように思います。
今国際的関心のトップにあがっているロシアのウクライナへの侵攻は、大衆意識の中にある「内的戦い」の投影の一つだと思っています。
ちょうど満月が重なっていた先週は、私もいろいろ私的な用事もあって忙しかったし、精神面でも辛かった日もあったのですが、同時に大きな赦しが何気ない日常の中で訪れました。
今日は、これらのことについて書こうと思います。

🌿赦しにより、静かなる平安の時の訪れ

                       ― 同時に、赦し(真理の理解)のフィルターが構築されてきたことがわかる
   
先週、ロシアがウクライナに侵攻する前後の日は、とても重くて気分が悪く辛く、私の統合失調症の症状(妄言)も悪くなっていました。
ちょっと心配だったので、長野県の諏訪大社の近くを通り過ぎる機会があったため、ついでにお参りをしました。
その時、諏訪の神様におみくじを通してご意見を伺うと、特に心配する必要はないけど、かといって、緩んでいいわけでもなく、今まで通り学びを続け、食生活に気をつけなさい、ということのようでした。また、あまり大きな変化よりは、内的な変化の方にエネルギーを注ぎなさい、ということのようでした。

昨日1週間を振り返ると、そんな中でも、大きな赦しがいくつか出てきていることに気付きました。
そして、だんだん、自分の中に「赦し」「真理の理解」のフィルターが構築されてきていることがわかってきたのです。
前なら、ある引っ掛かりのあるテーマが心の中に浮上してくると、怒りや攻撃的な意識に自動的にスイッチしていることがありました。
以前は、同じテーマが浮上してきても、「赦しをしなければならない」という義務感で、攻撃や落ち込みにスイッチしないように、何とか認識を深めて赦しに持ち込む、という感じで、非常に時間がかかってたのですが、それが、かなりスムーズにできるようになってきていることに気付きました。

そして、先週終わったテーマがありました。
統合失調症と診断された直後、症状がまだまだ落ち着いていなかったのに、無理に断薬をしたことがありました。
それにより会社生活がうまくできなくなり、ましてや精神科の治らないと言われている病と診断されたものだから、社会で落ちこぼれになった、落伍者になった、として自分を非常に責めて、自己否定をしていました。
先週のある日、仕事をしている最中に、突然その思いが浮上してきました。
しかし、すでに「赦しが終わった状態」でした。
「ああ、私は、過去、薬を無理に止めたことで酷くなり、会社生活をやめることになってよかったんだ」と。
つまり、過去の自分の「失敗」と思っていたことを肯定的にとらえることができたのです。そして、そのことで自分を否定しなくなったのでした。
実は最近、あるキッカケ(他者からの後押し)があり、また断薬を始めたのです。今回はまるっきり止めるというよりは、辛い時だけ飲むとか、仕事のある日など意識がぶれると困る日は飲む、といった具合です。
それで、2度目の断薬期を迎えるわけですが、今度は、たぶん、無理せず本当に少しずつ薬を止められる時期になってきたのだと思いました。
これは、スピリチュアルの理解が進み、自分で内的なコントロールと、薬のコントロールが理性をもってできるようになってきたこと、
生活の場が変わって3年経ち、だいぶ慣れてきて新しい価値観を受け入れることができるようになり、新しい生活スタイルがなじんできたこと、また、その外的な変化が緩慢になってきたこと、
そして、冒頭にあるように、一番の要因は「赦しのフィルターの構築」「真理に対する理解のフィルター構築」が進んできた成果だと思います。

また、もう一つあります。
パートナーとの関係は長いのですが、赦せなかったことが沢山ありました。そのため、パートナーに対して暴言を吐いていたことがたまにありました。
パートナーを知っている、大切にしているつもりだったのですが、実際の自分の態度はそうでもなかったことを認め、大切にしようとおもいました。
生活を共にし始めることは、お互い大きな変化でした。
それなのに、私の態度は、お互いがまだ別々に住んでいた時代の価値観などを引きずっていたため、赦せない、「昔はこうだったのに、なんで今のあなたは、こうなのよっつ!」とキレていたことが、多々ありました。私自身も、経済的、病の状況、環境への変化がなじまず、いろいろと余裕がなかったため、パートナーに頼りたかったのに、思ったようにならなかったことが目立っていたように感じたためでした。
今になると、向こうも初めてのことが沢山あったので、よく考えたら仕方がなかったこともあったのに・・・と思います。
私は、そういう類の「想念」に大いに騙されていたことが、だんだん、少しずつ、気づいては変えることができるようになってきていましたが、それでもまだまだ「自分本位」・・・「私は被害者」のようなところがありました。
しかし、諏訪大社に行って帰ってきてから、突然「私は、よく考えたら、自分に余裕がなかったことはあったんだ、パートナーも同じだろう。だから、お互い未熟なところがあっても赦そう、パートナーは一緒にいて欲しいと思っていたのだから、大切にしなくちゃ」と、改心したのでした。
たぶん、私の左側の不快な症状や妄言にも、関わっていたことなのでしょう。
そして、自分が自分に対してもおおらかになれなかったけど、パートナーに対してもそういうところがあったんだな、とわかって、いろいろ過去の未熟な自分、現在の未熟な点を赦せて、それと同時にパートナーを赦せたことは、大きな変化でした。

それから、私は、今の生活に対する不安、焦り、そうでなくても表面的なワクワクから、もっとどんどん変化させたくなる、あれこれと進めたくなる物事があります。
例えば、スピリチュアルの勉強会を早く開きたいと思いますし、生活もあれこれ新しいことを取り入れてやりたいと思うことがありますが、そういうことも焦らず、一歩引いて、少しずつ消化しようと思えるようになりました。
その方が、かえって無駄が出ないというか、程よい感じで進められることがなんとなくわかってきたこともあるからです。
それから、現状に対する不足感があるように見えるから、あれもこれもやりたくなるようなので、その幻想に惑わされていないか、一歩引いてから考えることができるようになり始めたからです。
不足感、焦燥感の駆り立ての想念に対して、一歩引いて、客観視して見られることが自覚でき始めたからです。(それは見ると剥がれ落ち、退散する感じになる)

上述のような、数々の、自分に対する赦しができるようになってきたことが、内的な戦いや外的に戦ってしまうこと(外に出さなくても、相手を心の中で攻撃してしまう事にかまけること)がぐっと減らせることになりました。
生活自体としては、穏やかに静かで、平和な感じになってきました。
内的には観察をしているので忙しいことは確かですし、大抵は農作業とか、食品(収穫物)の加工をすることで忙しいとか、勉強の時間をとれるか取れないか、などの些細なことで悩んでいるぐらいで、冷静になれば、生死にかかわることでもないです。
お金も確かに持っていない方ですが(-_-;)、それなりに周りに支えられて穏やかなサポートを受けられたり、出費も減ることが出てきたり、いろいろと生活が回るようになってきています。もちろん、現状の経済状況はもう少し改善したいとは思いますが、それも焦らず段階を経て、ということがわかってきている感じです。
そのため、お金を理由にして、暴れることが減りました。

これらは、上述にもありますが、すべて「赦しのフィルターが構築されてきた」こと。「理解が深まってきたこと」、これらが一番根底にある大きな要因のようです。

🌿まとめ、と、赦しの世界に生きることにより、他の人たちにも自然に波及する

今回の話題は、私の赦しができたことについてでした。
さて、私はここで気づいたことがありました。
バシャールがコロナの発生の時期に言っていた情報ですが、これからの時期は人類が「針の穴を通る」とのことでした。私は、針の穴を通り抜けたんだな、とわかりました。
スピリチュアルをやってきた人たちも、だんだん判り始めていると思います。
それは、「赦し」などの内的な作業を進めてきている人たちに関してのことのようです。
内的には葛藤があっても、内的に攻撃を見ていても、外的に攻撃があっても、それを内的に認識して「赦し」という作業にもちこめる人たちです。
そして、それを継続的にやっている人たちが、「針の穴を通った」のかもしれない
なぁと思いました。

大難を小難で済ませるようになってくる、とか、現実が穏やかに好転してきたなどの成果があると思います。

私自身の最近の経験からいえば、真に気付けば、瞬時に周囲に伝わり、物事をコントロールしなくても、「私が」言わなくても、物事がうまく回る方向性になっている現実に、急にシフトしていることがあります。嘘みたいで、ビックリすることがあります。
それは、個的に「うまくいく」というものではなく、全体の調和としての方向性に緩やかに向かっている、ということです。それは、やはり、内的な気づきは、空間や時間を越えて、瞬時に多くの人伝わるからです。

例えば、家族も、父親はちょっと重い慢性疾患はあっても、ある一定以上悪くはならず何とか済んでいます。それも、どうも私の意識の進化と関連しているということのようでした。(スピリチュアルの先輩によれば、特に家族とは意識の上でのつながりが強いので、自分の気づきが反映されやすい、ということ)

私の病のことでさえもそうです。逆に外側から言われること、自分がひそかに望んでいたように現実が回ってくることもありました。
母親がに断薬のことを話すと、いつもなら「また以前のようにひどくなってくるから、断薬は絶対に止めなさい!薬を飲みなさい!」と叱ってきていました。
ところが、私に過去の気づきと赦しが訪れると、なんと、話の流れで母親の方から「・・・じゃぁ、あなたは断薬をするのね、たまに悪くなったら、飲めばいいじゃない」ぐらいに言われるようになりました。
私が強く母親に対して「私は断薬をするから!(邪魔しないで)」という態度だった時、反抗的だった時とは大違いの相手からの対応に驚いたぐらいです。
それだけ、理解、赦し、というのは、相手に強く訴えなくても、強くコントロールを持ち出さなくても、物事がうまく回るようになってくるのです。
そして、自分自身も、日常生活を普通に送るぐらいなら、薬というコントロール手段もなくて大丈夫な時が増えてきています。

いまだに、生活の中で、不安がある、不足感を感じる、などはまだあります。
しかし、「赦しのフィルター構築」や「理解のフィルター」により、不安や不信、恐れなどが、自覚した状態で自分(自我)をコントロール下におけるようになってきたことなどがあると思います。

だから神々は、本当は、内的に早く気づくように、「赦し」などの内的な気づきの作業のために時間を割いて欲しい、と切に願っているように思います。(諏訪大社のお神籤での諭しもそのようでした。)
スピリチュアルを一足先に学んでいる人たちは、これから「赦し」のフィルターをますます不動のものにしていくことが求められると思いますし(正確にはそういうものはありませんが、地球上の役割としてはそういうことになってくると思います)、どんどん気づきを深めていけば、それが大きく波及し、より多くの人たちが、スピリチュアルを本気で学ぼうという方向性に向かうようなエネルギーとなると思いました。
同じスピリチュアルをやっていても、まだまだ、本当の気づき、悟り、理解を求める方向性に向かおうというような人たちは、ごくごくわずかのようです。
無理やりしなくても、穏やかに自然に、物事が平和的な方向に向かう・・・そのための、「赦し」や「真理の理解」のフィルター構築に向けて、一人でも多くの方々が歩みを進めていただけたら、と思います。

今日の話題はこれまでです。
本日もお立ち寄りくださり、誠にありがとうございました。
なにか参考になったことがあれば、幸いに思います。

🌿おまけの写真館-春の訪れと冬の名残り


私の職場からの帰り道にある神社では、湧水がくめます。

そこで、名残の冬の寒さに凍るツララに、春の陽光がキラキラと差し込む美しい瞬間があったので、写真にしてみました。