水谷橋公園という銀座のビル郡の隙間にあるような小さな公園に集合した。
当日は、銀座の街中を集まった人々がデモンストレーションによって歩き道行く人々に原発の廃止を訴えかけ、そして原発事故を起こした東京電力に対して怒りの声を叩きつける行動を行なったのだ。
この行動の呼びかけは、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)/プルトニウムなんていらないよ!東京(旧称 ストップ・ザ・もんじゅ東京)/大地を守る会/福島老朽原発を考える会/日本山妙法寺/日本消費者連盟/ふぇみん婦人民主クラブ/グリーンピース・ジャパン/原子力資料情報室/たんぽぽ舎であった。
最初は、どれほどの参加者が見積もれるか不確かだったのだろう。集合場所が狭すぎる公園であった。それでも、集合時間を向かえチラホラと人が集まり始めると、あっという間に公園に入りきれないほどの人数になっていた。デモが出発する頃には、イラク反戦運動以降久しく見ることのなかった長蛇の隊列が出来上がっていた。
出発してしばらくは、デモ申請のときに警察側が大人数の参加者を思慮に入れていなかったようで、デモを挺団ごとに分けていなかった。それによって、延々長蛇の列が大通りの交差点を通過するたびに交通渋滞を引き起こし、車のクラクションが鳴り響き、横断歩道を渡ろうとする一般人らが待ちきれずデモ列の側面から割って入って横切ろうとする危ない場面も見受けられた。そのうち、警備側が主催側の了承のもとデモを2分割して進める結果となった。
私の聞いたところ参加者総数は約1600人とのことだったが、主催者発表では1200人だそうである。が、街頭デモの途中から隊列に加わった人たちが結構いたので出発時と解散時での人数は異なると思う。
それにしても、ドイツでは各都市で「フクシマは警告する」とスローガンを掲げ、反原発一斉行動が起こり25万人が参加したとのこと。ふり返って、「日本では如何なものだろう」と思った人は少なくないだろう。震災のショックと原発事故の放射能漏れ被害によって、私たちの社会生活は大きくその歯車を狂わされてしまった。おかげで、本来なら福島原発の問題について真っ先に抗議の声を上げ、大衆的な反原発・脱原発を訴える大衆行動の立ち上がりが遅かったのはなぜか。
放射能被ばくに対する「恐怖」があったと思う。というのも、これほど大きく私たちの出足を遅れたのは、まさしく「想定外」であった。なぜなら、それ以前に、震災によって避難する人々に支援物資を送り、支援ボランティアに参加する活動が必要急務とされたからだ。ただでさえ、放射線被ばくの危険が迫る中で、それを優先させた結果だったのだとも思う。
そして、いまだ被ばくの心配はあるものの、ようやく首都圏に住む人々の精神的な混乱状況が落ち着き、日常生活を取り戻しつつある今、ようやく私たちは原発問題というこの人災に対して怒りのこぶしを挙げ、立ち向かうことが出来るようになった。いよいよ、これからこの度の人災の現況である電力会社および政府に対して反撃を開始する時なのだ。
これまでも多くの専門家・民間団体が反原発・脱原発で闘ってきた。それでも、政府や電力会社が札束をばら撒くがごとく推進派を買収し「原発安全」などの情報をばら撒いてきた。しかし、少なくとも今、東電を本気で信用する者はなどいない。原発事故のある福島県の地元は壊滅的打撃を受け、ゴーストタウンと化している。いまだその街には避難できないで屋内に閉じ篭って生活している住民が60人近くがとり残されている。さらに、今後も地元を含め広い地域にわたって被ばくする危険性を生活の中で向き合っていかなくてはならない。そんな重荷を背負わされた私たちは、もう騙されない。この、人災事故をきっかけにして多くの人々は目覚めたのではないか。電力会社の利権からおこぼれをもらって私腹を肥やす者や、原発に頼った「安心・安全」な生活。そんなものから脱却しなければ私たちの未来はない。再度の原発事故を起こさないためにも、私たちで脱原発による新しい生活を創り出さなくてはならない。
「NO MORE FUKUSIMA」この言葉を私たちの心に深く刻み込もう。