Solidarity was Nonsense ! | Wattan Net Life

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無道探訪‼︎                                         

 最近になって、自分の経験を通して自覚してきた。

 この10年近くの間、私の周辺では何かにつけて『連帯』などの言葉が飛び交ってきたことを思い返す。しかし、だからといって、それで一体どれ程のことが実現できたのであろうか。
何やら、あやしい「政治的」な連帯という文言に踊らされて、あるいは躍らせて来たように思う。
「○○に連帯する」と言う意味を平たく言い直せば、「我々はあなた方の敵ではないよ」と表明しているに過ぎない。そんなことを言われた方にしてみれば、「あっそう」程度の応じ方で終わってしまう。

 実質的な関係を構築し、より深く結びつくために本当に必要なことは「連帯」の掛声などでは断じてないと思う。今やらなければならないこと、それは関係を作るべき相手と一緒に何かを作り上げていく過程で培われる仲間意識ではないか。共通体験と意識を分かち合うなかで芽生える協働性の関係ではないだろうか。そんな風に考えている。
 日本語では曖昧になるので英語で表すなら、ニュアンスで“Collaboration”が相応しい。それぞれの個別具体的な社会の出来事に対応する中で、個々人の協働(コラボ)こそが国際関係でもローカルモヴでも、私たちにとって必要に問われていると思う。