戦争遂行に抵抗するって? | Wattan Net Life

Wattan Net Life

無道探訪‼︎                                         

 つまり、戦争に反対するメッセージをどう表現していくかだと思う。
昔からのムーブメントでは、“反戦運動”とかいうのが今も続いている。その多くは、第2インター的な「侵略戦争や植民地主義の批判」自国の正規軍保有を否定しようとする運動の流れを引き継いだものが戦後日本の社会党に集約されてきたと思う。ただし、理想論が強すぎたために「自衛隊を即時解散」とかものすごい主張をしていた。当然、このような主張は、自衛官とその家族、さらに駐屯地・基地を有する地方自治体の商工産業界には不評だった。かつての社会党が常備軍を持たない外国をモデルケースにして、日本も「中立国化せよ」などの提案も出していたが、当時にモデルにした永世中立国スイスは、たしかに常備軍を平時は最小限員数に留めてはいる。しかし、非常時においてすぐに一般国民が兵士として配置に就ける体制をとる国民皆兵制の国であることがあとになって判って、スイスモデルをいつの間にか引っ込めたのだった。つい最近は、市民運動の一部で「日本をコスタリカのように」軍隊を持たない国にしたい運動があった。これもいつの間にか衰退していった。この国も国境警備を任務とした“市民の自衛”の民兵制は残っている。そもそもコスタリカは武装蜂起の革命で人民が勝ち取った政府だ。社会民主主義のモデルケースにはならない。むしろ、環境問題を重視するEU諸国を参考にしたほうが社会民主主義としては好都合だ。米国のイラク侵攻後の2003年以降、いっそのこと自衛隊の存在を容認しつつ、国内外での侵略戦争への参加・協力を批判していく運動方針に変わってきている。そんな感じの社民党であろうと思う。

 個人の感想を続けると、戦争に反対する人々は、その戦争に誰よりもいち早く巻き込まれるであろう自衛隊の実態をどこまで把握しているのか。
 そして、それはもちろん「戦争したい。自衛隊の正規軍化賛成」と言う人々にも同じことが言える。戦争状態でのリアリティーを知らずして、すべてを語っているに等しい。

 戦争を体験したのは、「世代だ」と勘違いしている風潮がある。しかし、私はむしろこれなどは、戦争を体験した「個人」と理解することによって、世代を問わずさまざまな職業・立場・環境で生きたひとが「平和な日本人」のなかにも存在しているだろうと思う。