春はあけぼの 女は美学

春はあけぼの 女は美学

50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


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感情は成長する。
そんな当たり前のことを
改めて感じる。
「成長」という言葉の意味を、
自分を高めるという意味で使うなら。

同時に、
感情は後退するときもある。

それは良いとか悪いとかではなく
自分自身を守ろうとしている表れでもある…



先週、
話題の映画「インサイドヘッド2」を観てきた。


公開後にすぐ、
テレビで「インサイドヘッド」が放映され、
それがあまりにも素晴らしく、
「感情に善悪はない」ということを
丁寧に感動的に表現していた。

ライリーという小学生の少女の頭の中にいる、
いつもポジティブな「ヨロコビ」が
おっとりしているけれど勉強家の「カナシミ」の出番をなるべく出さないようにする。
しかし、
一見すると「ネガ」と呼ばれる感情を出さないようにしても
抑えるのではなくどんな感情でも味わい切ることで
ライリーが癒されるのだと知っていく。

最後のエンドロールで、
「カナシミ」の声が大竹しのぶさんだと知って
素晴らしいキャスティングだと思った反面
「ヨロコビ」の声が竹内結子さんだと知り
とても悲しくはなったけれど…

そして、「インサイドヘッド2」は、
前作を上回る素晴らしい作品とのこと。
前評判も高く、
観に行った友人たちも絶賛していた。


そんなこんなで観にいくと
公開終了ギリギリで、しかも平日の朝一。
なんと、映画館一人で貸切状態でしたのん。


「インサイドヘッド2」は、
思春期となったライリーの頭の中に
新たに
多くの感情たちがやってくる。
とくに「シンパイ」は暴走して、
それまでいた「ヨロコビ」や「カナシミ」たちを
追い出してしまう。

ここから、ライリーの心の中は混乱して
思春期特有のクールなそっけない態度や
強がったり、その裏での不安な気持ち、
恥ずかしさなどが出てくる。


ああ、
子供達もそうだった、
いや、ワタシもそうだった。
思春期って、ごちゃごちゃした気持ちの中で
いつも不安で人と比べて落ち込んで
急にはしゃいだり、
カッコつけてそっけない態度を取ったり
イライラしたり…

こうして俯瞰してみるとよくわかる。
それは全て、
必死に自分を守ろうとする
感情の嵐。

いろんなことを経験して
成功と失敗から学んでいく。
「シンパイ」は、ライリーが失敗しないように
様々な手を使って守ろうとするけれど
それが暴走となり、
ライリーは追い込まれていく。


感情は成長するが、
時に後退し、トラウマとなって傷となる。
自己嫌悪となって自分を信じられなくなる。

でも長い目で見ると「後退」だって
自分を守る手段であり、
失敗して後退するからこそ、
学んでいくのだ。

そんな様々な経験によって
感情に振り回されながら
自分自身を理解し
対人関係をも学んでいく。


しかし、
ワタシの中ではまだ
時に「シンパイ」と「ビビリ」が
いまだに蔓延って
「イカリ」と「ムカムカ」を封印する時がある。
感情に善悪はないと言いつつ、
無意識に閉じ込めている感情がある。
それは、傷つきたくないという防衛本能。

映画のポスターにもある
「どんな感情も、あなたの宝物になる」
という言葉が切ない…

でもその封じ込めていた感情の沸点を超えると、
もうワタシの中で収まり切れないほどに燃え上がる。
そして、
心のシャッターを閉める。
そして結局は傷つく。

何度こんなことを繰り返しているのか。

もっと、
自分の奥底の感情に敏感になりたい。
自分に素直になりたい。
感情と思考の国境をひきたい。


そういえば、三木清氏は、
「人生論ノート」において
「幸福は人格である」と説いている。
外的な環境や物資だけではなく
人としての内面的な成長、つまり人格が成長することで真の幸福を感じられると。
戦争に突入しようとしている時代的な背景こそあれ、自己との調和が大切なのは
今でも同じ。


今まで必死に頑張ってきた自分を労い、
新たな目標を掲げて
伏見のインサイドヘッドは
新たな局面に向かい続ける…といいなぁ😆


インサイドヘッド、1も2もオススメです。
1を観ていなくても存分に楽しめますわ。