何故だろう

 

人々は常に

 

見返りを求める。

 

私には理解できない考え方だ

 

与えることを常とする者にとっては

 

他者に行う行為は、その者のためにと行うのだが

 

見返りを求める者にとっては、自分に返ってくることを前提とした行為なのだろう。

 

私の視点から見ればそれは偽善という行為だ、だが、人のためを思っての行為らしい・・・

 

「頼まれたから・・・・」

 

「あんなによくしてあげたのに・・・」

 

「お祝いにご祝儀出してあげたのに・・・」

 

「何も返してこない」

 

行為そのものが、返礼を当然と考え見返りを要求するために行われていることすら本人は気付かず、「私っていい人」・・・と、思っているらしい・・・

 

嘆かわしきはその行い。

 

求めに応え、与えるのが私の基本。

 

当然、応えることができないこともある。

 

できることをしてあげる

 

してあげたことに恩着せがましい言葉は不要。

 

何故なら、やりたいからやったにすぎず。

 

対価や見返りを求めないから、

 

それは愛と云える。

 

愛があるから応えようとする。

 

返すなら、ほかの人に同じことをしろというのは

 

難しいことなのだろうか。。。

 

私には理解できない行動だ。

 

 

ほんとうによくわからない

 

 

やられたからやり返す。

 

同じことをやり返しても気が済まないから

 

もっとひどいことをする。

 

まるで悪魔。

 

 

してもらったことに素直に感謝できない心

 

感謝の気持ちを広めようとしない心

 

狭き価値観と

 

自己中心的行為

 

 

行いや言動を見聞きすれば

 

その人の質が見える

 

かかわりを持つに値するのかしないのか

 

些細な観察によって人の本性を見透すことができる。

 

 

私は人に貸すことは無い

 

物も時間も知識も

 

戻ってこないのが当たり前

 

返してほしくもない

 

 

必要な人に与えてほしい

 

 

感謝の気持ちとその行為を

 

 

 

気を配ることもなく

 

感謝することも無い

 

 

時間を無駄にできるほど

人は長生きできない

 

人生は限られた時間の中に存在する。

 

死の間際まで、誰も気付かない。

気付けなかったものは、後悔し、惜しみ、・・・妬む

 

他人と自分を比べる

 

何の意味も無いことに気を遣う

 

まったくもって無駄な時間

 

時間を操るすべもないのに

 

傲慢なのだろうか

 

尊大なのだろうか

 

 

私には理解できない。

 

与えることの意味を理解できない人々の価値観は・・・・・・

 

 

はてさてこの星にはびこる人々は今後どのような歴史を刻むのだろう。

 

 

新しいことは起こらない気がする。

 

 

常に同じ答え

 

争い、傷つけあい、殺しあう。

 

 

 

 

肉体的にも、精神的にも

 

 

 

 

如何にして目覚めさせるか

とても手間のかかることだ。

 

もう時間がない。