2006年の夏、「私」こと、わたくしは、WATAKUSHIなる日記をつけはじめ
あっという間に中断するに至った。
恋人に心配され、いよいよ危ない気分になり、相談者に相談した。
いわゆるカウンセリングというものである。これを受けるのは2度目の経験
しかし、これを予約するのは非常に勇気がいる。
なぜならば、「自分のようなさほど重症でもない人間が、カウンセリングなんて利用していいのだろうか」
と、非常に申し訳ない気持ちに陥るからである。
しかし同時に、誰かに助けてほしい気持ちが多いにあるのも事実であった。
結果、私はカウンセリングを利用し、秋から休学することになった。
それは私にとっては逃げであるともいえた。
冬が近づき、再び何も食べられない病になることを何度か繰り返す。
(昨年も同じ状態から歩けないほどになっていたが、その年はそこまでは至らず。)
気分の状態は相変わらずで、冬になっても回復しなかったので、
怒り狂った恋人が病院に行けと言い出し、しぶしぶ病院に行った。
薬を飲んだら、最初の2週間は床を這って移動するなんていうこともあったのだが
とても不思議な気分だった。
何も感じていないような、心の中に一枚の膜がはって、
自分の心と心を感じる部分の間に、ワンクッションが置かれたような気分がした。
カウンセラーの先生にそのように感想を述べると、「それが普通の状態だよ」と言われ
そうだったっけかな、と思った。
2007年、春になるとだいぶ回復し、
夏が近づくころには社会復帰したい気分になったので、バイトをすることにした。
バイトを始めたら、バイト先の上司が、もうちょっといい条件で雇ってくれると言ってくれた。
ただし、その雇用先は1年後に解散することが決まっており、1年のみの雇用ということであった。
(それはバイトのときからわかっていたこと。)
ただ、人事部から、学生のままでは雇えないといわれ、
急展開、大学をやめるかどうかの選択を迫られることになる。
カウンセラーは「それはどうだろうか」と難色をしめし
病院の先生は「自分ならそんなことでやめたりしないな」とコメントをした。
しかし、私はお金をもらって働きたい気分が高まっていて、今が社会への扉を開くときだと思った。
ので、退学を決意する。
研究室の教授に電話をし、必要書類を揃え、退学届は事務の担当者にお願いした。
そうして、大学院をやめ、私は働くことになる。
1年後、2008年の春
他の部署に移り、新しい環境で(給料が激減...)しかし新しい上司に認められて
給料アップ仕事アップの条件を引き出した。のだが、もう辞めることに決めていた。
また、「今が次なるステップへの扉を開ける時だ!」という、例のヤツが来たのか?!
とにかく、やめることになった。少なからず、恋人の圧力もあったし。
(いつまでそんな薄給で仕事するつもりだい、と・・・毎日言われるのがイヤになった。)
上司は引き止めてくれたのだが、どうしてもやめようという気分になっていた。
同僚も素敵すぎるほど素敵で、思わず恋をしてしまいそうなほどの人だったのだが。
秋、私は再び、人生の一地点に立っている。
すぐに次の仕事をしようかとも思ったのだが、それはしなかった。
理由は色々あるにしても、再び恋人のヒモに戻ったといえなくもない...
自営業の手伝いとして雇われている。
しかし、仕事がない。
お客が来ない。
営業がうまくない。
集客できていない。
うーむ。
暇な時間を考える。
仕事をしていた時、暇だった休学の時間を思い出し
「どうして暇を大事にしなかったんだろう。暇は大事に満喫すべきだった」
と、日々苦悩にさいなまれて心休まらなかった日々を悔いたのだが
こうしてまた暇な時間がやってくると、
「いいのだろうか。自分はこれでいいのだろうか。人は懸命に働かねばならぬのではないか。」
と、怠惰に思える自分の生活を恥じているのである。そして不安に思うのである。
「いつかバチが当たるのではないか」
将来やりたいこととは?
と思うより
今やりたいことは?
と考えることが大切だと、誰かが言っていた。
今の積み重ねが未来をつくる。
しかし、不安というのは、常にそれを焦ってしまうときに起きてきて
そういうマイナスな気持ちをどうにもできないときが多い。
今をさらっと流して将来ばかりに目を向けてしまう
翻って、今をさらっと流してしまう状態をまた、嘆いている。
今を積み重ねることの難しさ
一歩一歩をかみしめることがこれほど難しいとは
思ってもみなかった。大学院で躓くまで、思っていなかったことである。
それは人の心の弱さだと思っていた。
そうかもしれないが
自分の中に、これほどまでに弱い自分がいることを知らなかった。
私の中には、ふたつのまったく違う自分がいるのだと知った。
今を積み重ねる強さと未来を信じられる自分と
今を積み重ねられず不安にさいなまれ未来を信じられない自分
両方を体験し、両方が自分の中にいることを知った。
