江國 香織
とるにたらないものもの

電車で出かけるのが苦手だ。ひとりで乗る電車が特に苦手。
普段車やバイクで通勤する友人たちはよく、電車に乗ると息が詰まると笑う。狭い空間に閉じ込められ、たくさんのひとに囲まれていると気分が悪くて落ち着かないんだ。
そう聞くとなるほどなぁと思い、それにしてもあれは毎日乗っても慣れないよなぁ、などとつぶやいてしまう。ひとりでそういう場所にいると、落ち着かない気持ちで集中力を欠いてしまい、結局何も手につかないことが多いのだ。通勤の時など乗っている時間は長いのに、なんだかもったいないみたい…単語帳を開く学生さんや、立ったまま本を読みふけっている会社員の方もいるというのに。

この本は、だから電車のなかで読もうと思って買った。もちろん、好きな作家さんでもあるし。
「レモンしぼり器」や「お風呂」、「書斎の匂い」や「大笑い」など、日常にある有形無形のものものを江國さんならではのやわらかな視点で、ときにユーモアを交えて切りとったエッセイだ。
ひとつひとつが短くリズミカルな文体で綴られているので、移動の電車のなかでも読みやすい。たびたび中断しても、またすっと入ってゆける気軽さも魅力だと思った。実際、これは半分ほど通勤電車の行き帰りに読むことができた。

「とるにたらない」日常のものもの、でもひとつひとつが何かしら離しがたい懐かしい記憶や思いと結びついている。入院中のお父さん、江國滋さんとのエピソードが微笑ましい「ヨーグルト」や、さりげないご主人とのやりとりに愛情が溢れる「子守歌」など、温かい気持ちになり思わず笑みがこぼれてしまった。

…そうだ、印象的なこんな話もあった。タイトルは「小さな鞄」
ひとに依存することが怖くて、以前は何でも自分でまかなえるように大きな鞄を持っていらしたという江國さんご自身のエピソード。お若い頃は、あると安心と思うもの、持ち歩かなければならないものがたくさんあったのだとか。それがある日突然、持つより持たないほうが楽だと気がつかれたという…。

「すべてを持つことはできないのだから、比較的いろいろ持っている、と思うより、何も持たなくていい、と思う方がずっと安心ではないか。…(中略)どうしても必要なものはその場所で探せばいいのだ…」

…そして、締めくくりはこんな言葉。
「小さな鞄一つでどこにでもいかれる、と、思う。ほんとうに、すごく楽になった」

この一文を目にした途端、自分のなかの何かが小さく音を立てた気がした。目線を落とした先、膝のうえに自分の大きな鞄が窮屈そうにのっかっていて、可笑しくなったのだ。クスクス笑いを押さえながら窓に目をやれば、いつの間にか職場のある駅に着いていた。めずらしく本に夢中になって気が着かなかったらしい。慌てて電車を飛び下りる。いつもは息を切らす階段も心なしか、この日は軽かった。職場のドアを開けて駆け込むと、あまりの威勢の良さに驚いた先輩が目を丸くして迎えて下さった。
「おはよう。そんなに走ってどうしたの!」
それを聞いて、ますますクスクス笑いが込み上げそうだった。

週末は、私も小さな鞄を探しに行こうかな。