屈んだまま腰を抑え、突如襲ってきた強烈な痛みに耐えました。
二週間前に患った、軽めのギックリ腰。
日本を発つ前にはだいぶ良い状態になっていましたが、長時間のフライトが腰に悪かったのだと思います。
事前に想定していたことであり、警戒もしていたつもりだったのに。
くそ。
せっかくここまで来て、こんなんでレースを棒に振るのかよ。
悔しさと情けなさで涙がにじみ、視界がぼやけました。
「Are you OK?」
心配そうに声をかけてくれたイミグレーションのおじさんに笑顔で「大丈夫」と答え、そろりそろりと立ち上がりました。
幸い、そこまで重症ではありません。
ただ、腰から背中にかけて重く痺れる様な痛みが残っており、その痛みが取れるには暫く時間がかかりそうでした。
入国審査を通った後、荷物を取りに行く途中に階段があったので、ゆっくりと登り下りをしてみました。
登りは、ゆっくりなら問題なし。
しかし、下りは着地した時の振動が腰まで響いて、とても走れそうにありませんでした。
状態としては、二週間前にやった時と同じくらいだったと思います。
だとしたら、山を走れるようになるまで、2日か、3日か。
レースのスタートは、次の日の深夜です。
考えれば考えるほど、不安が大きくなるばかりでした。
預けていた荷物をピックアップして、空港の出口に向かいました。
時間はちょうど正午を過ぎた頃。
空港からの移動は大会が用意してくれたシャトルバスで、シャトルバスは16時に空港に来ることになっていたので、それまでは空港の周りを散策することにしました。
空港の出口付近には人だかりが出来ていて、軍服姿の屈強な男性達がそれを牽制するように立っていました。
なんだか物々しい雰囲気です。
少し警戒しながら歩を進めていくと、何人かの男性が私に近寄って、声をかけてきました。
「Taxi?」
「Senggigi?」
人だかりは観光客を目当てにした、タクシーの運転手だったようです。
あっという間に取り囲まれ、その圧に若干引いてしまった私は彼らを振り切るようにして外に逃げ出しました。
外に出ると、ムッと肌にまとわり着く様な暑さを感じました。
暑い。
湿気を多く含んだ独特の暑さでした。
木陰になっているアーケードをてくてく歩くとすぐに道がなくなり、その先は広大な駐車場でした。
そのまま駐車場を突っ切って歩き続けましたが、何もありません。
お店はなく、休む場所もなく、しかも日向に出ると陽射しが強烈で、一気に汗が吹き出してきました。
擬音にしたら、まさに『ギラギラ』と言った感じの日射。
この暑さの中を走るのかー。
不安とわくわくが入り混じるような気分で太陽を見上げて、顔面いっぱいでその陽射しを受け止めました。
ぐるっと一周して空港へ戻り、一息つくとシャトルバスが来ました。
バスが出発した16時は太陽の陽射しも緩んでいて、もうすっかり夕方の雰囲気でした。
これだけ暑いと日本の真夏やヨーロッパのサマータイムとイメージを重ねてしまいますが、この時期のインドネシアは日の出は6時とゆっくりで、18時にはしっかり日没になります。
赤道間近だから、太陽が出ているのは一日のしっかり半分ってことなんだなぁと、そんな所にも自分がインドネシアという地に来ていることを実感してワクワクしました。
シャトルバスは多国籍の選手達を詰め込んで、夕暮れの町の中を走り始めました。
大会受付会場のある、Sembalunまで約4時間の移動です。
私はちょっと陽射しに当たり過ぎてぼうっとした頭で、車窓を流れる景色を眺めながらその時間を過ごしました。
空港を離れると広大なサバンナが広がっており、生い茂る草原は傾き始めた太陽の陽射しを反射して黄金色に輝いていました。
とても美しい景色でした。
バスは幾つかの集落を通り抜け、徐々に山深くへと進んで行きました。
その頃にはすっかり陽が落ちて、バスは街灯も殆ど無い真っ暗な半舗装のガタガタ道を、ジェットコースターの様に上下左右にGをかけながらグネグネと走り続けました。
機内泊で若干寝不足だった私は、先程まで夕暮れの長閑な景色を眺めながら気持ち良くまどろんでいたのですが、バスが山に入ってからは気が気じゃなくて、終始緊張しながら身を硬くして過ごしました。
到着は20時半。
小さな集落であるSembalunは真っ暗で、生き物の気配すら殆ど感じられないくらいでしたが、大会受付会場だけは夜でも煌々と明かりが灯り、そこだけは場違いに浮き上がって見えました。
そのまま大会受付も出来たのですが、長時間の移動で疲れてしまったので、その日はすぐホテルに行くことにしました。
ホテルは受付会場から徒歩で20分くらい離れた『Rinjani Inn』です。
真っ暗な道をゴロゴロとスーツケースを引いて歩きました。
Sembalunは標高が1000m以上あるためか、夜になると空気は少しひんやりして、風が吹くとTシャツでは少し寒いくらいに感じられました。
見上げると、満点の星空。
ぐるりと見回すと、漆黒の空にはうっすらと山の稜線が見えました。
レースでは、あの山を走るのだろうか。
その瞬間を想像してワクワクするも、腰の鈍い痛みを感じてすぐに不安が首をもたげてしまう。
今、ごちゃごちゃ考えても仕方が無い。
そう分かっていても、やっぱりぐずぐずと考え続けました。
ホテルに着くと、既に敷地内は真っ暗でした。
幾つかのコテージが並んだタイプで、受付がどこか分からなくてウロウロしていると、暗闇の中から声をかけられて、名前を言うと部屋に通されました。
部屋は4畳半に布団が敷いてあるだけの簡素なつくりでした。
東屋に四方の壁を板で仕切っただけで、天井に小さな豆電球が一つ。
部屋に入ると急に疲れと眠気が出たので、着替えもせずに靴下だけ脱いで布団に横になりました。
横になっても、腰に鈍い痛みを感じました。
なんとか良くなって欲しい。
そう願いながらしばらく腰をさすり、目をつぶって眠りに落ちました。


