大山のぶ代さんと旦那さんの

素敵なツーショット写真を見たら

いろんな気持ちが出てきました。



娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記/双葉社
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奥様が認知症であることを公表するまでとても辛かったこと・・・


公表したことで、認知症を受け入れられるようになったこと・・・



そんな砂川啓介さんの言葉を聞いて

私の父のことを思い返しました。




この時も 書いたけど

おっ父は若年性アルツハイマー型認知症でした。


50代で発症し、当時おらは高校生でした。




全く、受け入れられませんでした。


理解しようと頑張ったけど、全然、できませんでした。


ただただ、痴呆のおっ父を罵倒していました。


そして、そんな自分をこれでもかと責めていました。




まだまだ体力のある認知症の父との生活は、壮絶なものでした。


一度暴れだしたら、手がつけられませんでした。




大好きな家族が、崩壊すると思いました。



こんなに、こんなに

人間らしく生きられないのなら

いっそのこと

殺してあげたい・・・

と、何度も何度も考えました。





だけど、私たちは


周りの人にとても助けられていました。




おっ父が徘徊していると

近所の人が優しく声をかけてくれました。


家から15キロ離れたところで迷子になったおっ父を

知り合いが家まで送り届けてくれました。



それは、

おっ母が“恥をかいてもいい!”と

周りに正直に言っていたから・・・



おっ母は

ご近所や友達・親戚の人たちにも

自分からお願いしていました。



「うちのお父さん、


どごだりさ(違うとこに)行ったり、

どごだり(変なこと)しゃべったりすっけど


その時は教えてちょうだい。


私たちがいないときは

お父さんに声をかけてちょうだい。


迷惑かけるけど


助けてちょうだい。」




うちのおっ母、

ちゃんと「助けて」って言ってたんだなあ。


おっ母、すごいなあ。




おらは、友達にも平気なフリしちゃったなあ。




みんな、とっても優しかったよ。

変な目で見る人もいたけど、

親切なひとばっかりだった。




これは、おっ父が元気なころ誰にも触らせてくれなかった

おっ父の宝物。

今は触り放題だもんね~(*`艸´)



おっ父の好きな、

ミルクとお砂糖たっぷりの甘々なコーヒーを出してあげると


「ああ、ああ~、すみません、

どうもすみませ~ん。

それではいただきまーす。」


と、おらのことを誰とおもっているのか(笑)

他人行儀に、でもとっても嬉しそうに

そのコーヒーを飲むんです。


ほんとに、たま~にしか、

優しくできなかったな~(笑)



『優しくしてほしかったら、自分が先に優しくする。』


これができていたら、もっと穏やかに過ごせたのかな。




去年おっ父が亡くなるまで約20年間。

おっ母は、あんなに献身的に介護しても

それでもまだ、してやれなかったことを

悔やんでいます。



でも、そんなおっ母を見ていると


あ~~♡

ほんとに愛し合っていたんだな~。

と、ちょっと嬉しくなったりします(*v.v)。




おっ父が寝たきりになった最後の4年間で、

ようやく、ようやっと、私は

おっ父の認知症を受け入れることができました。



もう、その時は言葉は交わせなかったけどね~





自分の病気も、家族の病気も、

たくさんのことに気づかせてもらえる

「ギフト」だった。


もちろん、しんどい時はそんなこと思えないんだけどね(;´∀`)





生きてるうちに、言いたかったな~



ごめんね、おっ父。


おっ父、ありがとう。



ありがとうね!!



伝わってると思うけどもさっ( ´艸`)♡




うちのおっ父とおっ母も

大山のぶ代さんご夫妻に負けないくらい

素敵な夫婦だったよーー!