記憶を辿りながらの野球ネタ

記憶を辿りながらの野球ネタ

社会に出て20年弱ともなると、なかなか趣味の野球のことは口にしづらくなる。プロ野球やらメジャーやら熱いのに(笑)だから自己満にはなりますが、このブログを備忘録としてやってみますね

Amebaでブログを始めよう!

20日って、明後日じゃん。

今年は投手の宝庫で、本当に楽しみ。

去年のNPB選抜と対戦したときの創価大の田中の投球、本当に圧巻で(笑)

 

田中レベルの投手が他にもいるんでしょ??

そりゃ、楽しみに外ならないね(^^)

 

昔々の1989年のドラフト。

これが滅茶ヤバかった(;´Д`)

そう、野茂英雄の時です!

 

野茂に8球団の1位指名・・・もすごいけど、

この年に入団した選手が、実に豪華~~(^◇^)

 

巨人3位・・・吉岡雄二

広島1位・・・佐々岡真司

広島4位・・・前田智徳

中日1位・・・与田剛

ヤクルト1位・・・西村龍次

ヤクルト2位・・・古田敦也

阪神5位・・・新庄剛志

大洋1位・・・佐々木主浩

近鉄1位・・・野茂英雄

近鉄3位・・・石井浩郎

近鉄6位・・・入来智

オリックス1位・・・佐藤和弘(パンチ佐藤)

西武1位・・・潮崎哲也

ダイエー1位・・・元木大介(逃げたな~)

日本ハム1位・・・酒井光次郎

日本ハム2位・・・岩本勉

ロッテ1位・・・小宮山悟

 

野茂さん以外にも、結構、エース格や主軸バッターで活躍した選手ばかり。

 

ん??

これだけの豪華なところで野茂さんには8球団。

本当に野茂さんってすごいんだね(笑)

 

さあ、明後日!

夕方からはテレビに釘付けだ~~(^_-)-☆

 

 

なかなか毎日の更新って出来ないもんだね(笑)

まあ、継続は力なりで、極端な日数は開けないレベルで何とか更新していこう(^^)

 

高校野球を見ていても、本当に器用にスライダーを熟すピッチャーが多いね。

ストレートとフォークが一世風靡してきた野茂などの時代と比べ、スライダーを習得しているのは一般的かしている。

 

そのスライダー。

といえば、やっぱり伊藤智仁でしょ。

キャプテン翼にあった早田の「カミソリシュート」並みにエグい曲がり方(笑)

 

伊藤のスライダー、当時の正捕手であった古田も絶賛していたね!

プロ野球史上最高のスライダーと称されている動画がこちら↓

 

とにかくケガに泣かされた選手だった。

ドラフト1位の1年目は頭から先発陣に入り、大活躍。

16奪三振などを披露し、前半戦だけで7勝2敗19S、防御率はなんと0.91。

怪物どころの活躍じゃなかった。

中盤戦でケガをし、その後は復活を遂げるも初年度ほどの成績を収められなかった。

(抑えとして頑張っていたけど、やっぱりインパクトは初年度)

ストレートも速いしスライダーも半端ないから、その肩は諸刃の剣だったんだね。

選手生活が短く、そして登板数も少ない。

だからこそ伝説の投手だったと思う。

 

自分は高校生の時期に伊藤がデビュー。

だから伊藤が登板の度に友達ととにかく興奮しながら話していた記憶がある。

もしかしたら当時はヤクルトファンだったかも(笑)

 

中学生か高校生くらいだったころかな。

メジャーでとてもカッコイイ投手がいた。

それは、ジム・アボット投手

先天性右手欠損というハンディキャップの中で、メジャーで活躍した人。

投げるのも捕るのも、全て左手のみ。

 

初めて知ったのはニュースだったけど、圧倒されたのはソウル五輪で日本代表と対戦した時の事。

オリンピックもそうだけど、あのメジャーでも活躍してるんだよ。

とにかくすごかった(^^)

 

独特なグローブで、フィールディングにも優れていて、きっと世の中でハンディキャップを抱えている人に勇気を与えたと思う。

先日のパラリンピックもそうだけど、このような方々は本当に尊敬!としか言いようがないね。

 

アボットの凄さは、ぜひウィキペディアで調べてほしい。

だって、ノーヒットノーランも達成したことがあるんだから(笑)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88

 

やっぱメジャーは熱いぜ!!(^◇^)

 

 

自分は左投げ左打ち。

だから実際のところ、あえて右打ちの練習はしなかったけど(笑)

幼少の頃のプロ野球では、スイッチヒッターがカッコよく見えたな。

 

最初に惚れたのは、「青い稲妻」こと巨人の松本匡史。

スラッとした体形で品の良い盗塁が、とてもカッコ良かった。

背番号2というのは、高校くらいまではキャッチャーの背番号で、いわゆるドカベンみたいな役割な感じがしてたから、松本を見たときは本当にビックリしたし、妙に好きになったね。

度重なるケガやクロマティの台頭で、センターラインからポジションが外れることも多かったけど、一番「松本」、二番「河埜」の並びは役割分担が明確でなんかスッキリとして、それが巨人を好きで入れたと思う。

あの頃は原や中畑、江川、西本、水野、斎藤雅樹といった華のある実力者も多い。

だからこそ影武者っぽい松本の存在は、それはそれで必要不可欠だったと思う。

確かセリーグの年間盗塁数の記録も持っていたんじゃないかな~

 

あとは広島の高橋慶彦。

足も速いし、打てるし、守れるし、んでスイッチヒッター。

なんでもできるオールマイティに感じた。

あのスマートな顔立ちに、ショートの華麗なグラブさばき・・・

当時に「カープ女子」が存在していたら、きっと人気NO.1だったと思う(笑)

あっ、背番号も2だ(^^)

今の現役選手では、全盛期の松井稼頭央に似ていたかも。

ホームランも打てるパワーもあったし。

そう考えると、なぜトリプルスリーは達成できなかったのだろう?

歴代の選手と比較しても、山田哲人のパワーはやはりすごいんだろうな(^^)

 

小学生の時は、巨人と広島が好きだったね。

巨人は、物心ついた時から。

広島は、外国人よりも日本人が活躍していたから。

高橋や前田、野村とか・・・常に日本人が育ってたね。

 

そうそう、被っていた野球帽も巨人と広島だ(笑)

生を授かり40年(まもなく41年)

我が野球ストーリーを振り返ってみると…

 

◆小学生

父親の影響で巨人ファンから始まり、小4でクラブチームに入部

地域の弱小地域であったけど、6年生には念願の10番(うん、キャプテンってやつ)

左投げ左打ちでピッチャーを任されるも、ストライクに嫌われ苦戦の連続…(´;ω;`)

肩が良かったから、センターゴロに全力を尽くしていたな(笑)

 

◆中学生

ウチらの時代は、サッカーはお洒落で野球はヤンキー。

少年野球のおかげ先輩には可愛がられるけど、まあ、品のない感じだったかな(笑)

そう、学校の野球部に所属。

3チームの少年野球チームがまとまっていた学校だったから、野球レベルはまあまあ良し。

自分も2年からレギュラーを奪取。

そうそう、2年の時にヤンキーの女先輩に告白されたな(笑)

野球部の先輩が告白の場所をセッティングしてくれて、「付き合ってほしい」と言われた。

っが、普段は恐れられるメチャクチャ怖い女先輩だったから、結果断った。

なんと言って逃げたか覚えていないが、今思えば、あの時にOKしていたら、それはそれで面白い中学校生活を味わえていたかも(笑)

3年になると副キャプテンに任命。

中3ともなると恋愛にも敏感で、1~2年生のテニス部やソフトボール部と練習でグランドで一緒になると、妙に張り切っていた自分がいた気がする(笑)

あっ、中1の時には彼女ができ、そこそこ恋愛はしていたけど、こっそり目線でね~。

最終的には背番号8のセンターで終焉。

(もちレギュラー)

相変わらずセンターゴロは狙ってた。

高校では草野球に転じ、日課としての野球プレイはここまでかな。

 

◆ここまでの総括

野球が好きで、でもサウスポーでポジションが限られ、その中で這いつくばっていた野球少年でした。

センターは自分的にもとても好き。

センターとキャッチャーだけが、グランド全体を一望できる。

そのセンターというポジションには、特に思い入れがあったかな。

 

◆当時の憧れの選手

「ファミスタ」全盛期で、ちょうど「甲子園」ってゲームソフトも出ていたころで、熱の入れようは半端じゃなかった(笑)

プロ野球では、とにかく「左利き」の選手が好きだった。

一番は広島の大野。

テスト入団で軟式野球から入団したと思うけど、先発に抑えに、とにかくカッコ良かった。

小学校のピッチャー時代は、フォームを真似していた。

あと中日の都ってピッチャー。

これはかなりマニアックかも(笑)

野球チップスで都が出てきたときはメチャ感動~。

 

そんな幼少期からの野球への気持ちを、大人になって口外しづらくなった分、このブログで独り言をやってみようかと思ってます(^^)