もう5ヶ月近く前ですが、

父が77歳で亡くなりました。

当時を忘れないように長々と書きます。

 

2022年3月頃に心不全を起こし

救急搬送。

住んでいる市内の病院は病床がいっぱいで

受入できず隣町の病院に搬送されました。

処置や諸々の検査などで一ヶ月以上入院。

入院中の検査で胃がんが見つかりました。

 

胃がん手術のため再度5月に入院して、

手術は無事に終わり月内には退院しました。

術中の検査でリンパへの転移が見つかった

ため、ステージⅡと診断されました。

 

6月か7月になって体が落ち着いてきた

頃から父は経口の抗がん剤を始めました。

NKS1というやつです。

TS1のジェネリックなのかな?

投与開始から1週間ほどすると、

がくっと体調が悪くなり病院で診察を

受けると即入院でした。

白血球激減による免疫力低下でした。

 

1週間ほどしてから退院して、

元の体調に戻るころに、

抗がん剤の量を減らして投与再開に

なりました。

 

その後再度白血球減少により体調を

崩しました。

今度は発熱がなかなか治まらかったため、

PCR検査を受けないと診察、入院できない

と言われたものの、土日だったため、

その病院ではPCR検査さえ受けられず、

週明けまで体調が悪いまま待ちました。

そして週明けに即入院。

 

抗がん剤の副作用が原因なのは明らかな

うえに、土日は外部委託のPCR検査を

受けられず、体調は悪くなる一方なのに

週明けまで待たせた病院の対応は信用を

失うものでした。

今後はもうこの病院にはお世話になりたく

ないと感じました。

 

再入院したのが8月終わり頃、

そこから1週間したころに父は敗血症を

発症し、数日後に亡くなりました。

 

亡くなる前の日の朝、仕事中に病院から

電話があり、仕事を切り上げて帰りました。

病院に急行して主治医から改めて父は

1日もたないかもと説明を受けて、また、

父は以前から延命治療を希望していなかったこと、家族はそれを尊重することを主治医に

伝えました。その日は弟、母と交代で

付き添いをしました。

父はこちらの呼びかけにはわかっている

ようでしたが、声や表情に動きはほとんど

ありませんでした。

 

夜まで乗り切ったので、翌朝までは

もつかなと思い込んで、弟には夜の早いうちに一旦帰って寝るように伝えて私と母は

病院を出ました。大雨が降り始めてました。

 

自宅に帰って寝た後に、実は病院に残って夜通し付き添っていた弟から着信があり、

父の状態がさらに急変したと言われ、

夜中の1時頃に病院に再度向かいました。

まだ大雨が降ってました。

病院についた頃にはすでに父は亡くなって

いました。

腕は腫れてパンパンでしたが、

表情は苦しんだ様子は見られませんでした。

 

看護師さんからその後のことについて

説明を受け、事前に調べていた

葬儀社に搬送依頼の電話をしました。

1時間もしないくらいで業者が到着。

父の遺体が病院を出るときには

雨が止んでいて、搬送車をしっかり

見送りできました。

緊張から解放された感じでした。

 

この病院のPCR検査対応の件は残念でしたが、父が危篤状態になってからはほぼ自由に

ICUに入らせてくれたことは、このコロナ禍では病院によっては難しいことだと思うので

この点では病院、看護師さんの対応にとても感謝しています。

 

このあと、葬儀の準備で一悶着。

それは次回気が向いたときに書きます。

長々とすみませんでした。

とくに書くことがなく更新さぼってました。

 

ここ一ヶ月ほどですが、相性が悪かった

カレーを食べられるようになりました。

ライスとルーの量を調整してます。

ライス大盛に対してルーは普通より少なめ。

さらに食後は整腸剤を服用。

整腸剤に慣れてしまいそうで、

あまり体に良くない気もしますが…汗

食べたいものを食べられるのは

とても嬉しいですラーメン

 

カレーの他には、強力粉を使ったパン、

ラーメンあたりが相性悪いのですが、

整腸剤使いながらたまに食べてます。

 

先月、父が77歳で亡くなりました。

そのことも近いうちブログに

書き残したいです。

がんの術後3年も経たないうちに

本社の事務職から電車の運転士に

復帰しました。

 

復帰当時はコロナ前の利用者数が

ピークだった時期で、電車の運行本数を

増やす計画があり、運転士を少しでも

多く確保したいという会社の人事計画が

ありました。

 

事前に、人事担当から運転士への復帰の

希望はあるか聞かれたことがあり、

もう少し運転したい気持ちもあると

答えましたが…

また不規則な泊まり勤務、

体力勝負の業務に戻ると思うと

不安が先行しました。

 

実際に復帰してみると、

前に在籍してたときよりも

1日に運転する距離、拘束時間が

ともに増えており、キツイです汗

 

唯一良かったのは、

物心がついた子ども達に

運転する姿を見せられたこと。

 

社内の異動がある時期には

毎回期待してますが、

毎回自分の名前がなくガッカリ。

 

一応健康で産業医はどんどん働いて

大丈夫とは言ってますが、

がん以外にも持病があるので、

早く本社に戻って健康に過ごしたい。

 

 

術後4ヶ月、やっと仕事に復帰しました。

開腹した傷の治りが遅れたのと、

抗がん剤投与の様子見で復帰まで

だいぶ時間かかりました。

 

 

発症前は電車の運転士でしたが、

抗がん剤の投与が続いてたため、

とくに副作用の影響はなかったとはいえ、

運転関係や泊まり深夜業務は産業医から

禁止されたので、復職と同時に

本社の総務系の部署に異動しました。

 

 

いまの会社に入るまでは何社か

転職しており、事務職も経験があったため、

本社の仕事もわりと早く溶け込め、

慣れるのにストレスとかもなかったです。

時間外勤務や休日出勤がほぼない部署だった

ので、体力的にも問題なく働けました。

オフィスはキレイで、職場の人達も

良い人ばかりでしたので、

とても恵まれた異動でしたニコニコ

人事課が気を配ってくれたのかも…

 

通院は月に一度で血液検査つきで。

半年に一度は造影剤でのCT、

年に一度で内視鏡検査をしました。

 

2年くらい経ったところで、

経過が良く再発もないため、

(途中で気胸を3年ぶりに再発しましたが)

通院の間隔を2ヶ月に一回、

3ヶ月に一回と減らしていきました。

 

そして、本社に異動してから2年半、

このまま本社で仕事を続けられるのかな

と安心していた頃に…異動ですガーン

運転士に復帰。

 

退院前に主治医からは

とくに食べ物の制限はないですと

聞いていました。

 

退院翌日あたりだったと

思うのですが、しばらくぶりに

ラーメンラーメンを食べに行きました。

ラーメンショップの背脂入りラーメン

です。

 

いつものように普通においしく

たくさん食べられました。

 

しかし、その日の夜くらいに

下痢に襲われ夜中何回もトイレに

駆け込みました。

 

下痢は夜中のうちに治まってきたのですが、

別の日に家でカレーを食べたらまた再発。

 

どうやら術後は油の濃いものや

香辛料の強いものに弱くなって

しまったようです。

 

それはまでは食事については

何も気にすることなく好きなものを

食べていられたのですが、

産業医にこのことを話したら

腸に刺激を与えるものは良くないと

言われ…術後は大好きなカレーや

ラーメンを食べる回数が激減しました。

 

カレーのルーを少なめにしたり、

あまり濃くないラーメンなら

負担が少ないので、仕事ない日を

選んでなんとか食べてます。

 

食べ物の内容によるのか

とくに気にしてませんが、

術後4年の現在も月に何回かの頻度で

下痢に襲われます。

 

今のところ電車運転の仕事に

大きな影響を及ぼしてないのが

幸いですが…。