(※震災の話となります。

 

津波の話しや少しキツイ表現などあります。

 

霊的な表現は今回のブログには出て来ません)

 

 

その日も変わらない朝、

 

私はいつもの様に仕事へ出掛け、

 

嫁さんと長女も変わらず見送ってくれます。

 

私達の住まいは宮城県の沿岸部でした、

 

私の仕事場はそこから内陸の方に30程度

 

車で走った場所にあります。

 

いつもの様に仕事をしていると

 

14時46分頃カタカタ揺れ始め、

 

私は仕事上イスに座って作業しているので

 

揺れにはすぐ気付きました。

 

初めは小さな揺れでしたが、

 

これまで何度か大きな地震は体験して来ましたが、

 

小さな揺れの最中に物凄く大きな

 

地響きと言うかデカい揺れが

 

来る音を聞いたのは初めてでした。

 

わざとらしい程に

 

上下前後左右に揺さぶられ、

 

動転して作業脇のラックを押さえますが、

 

尚強い揺れが襲い、

 

ラックの中身が飛び出して頭上に落ちてきます、

 

あまり危険な物ではなかったので

 

大丈夫でしたが、

 

気付けばラックの中身はからっぽ、

 

ラックだけを押さえました。

 

とっさに作業メンバーに震えた声で

 

『焦るな!落ち着け!』

 

と言いますが、

 

自分が落ち着け状態、言葉空回り状態でした。

 

ぶら下がっていた蛍光灯は外れて落ち、

 

レンズ加工の会社に勤めていたので、

 

床はレンズの破片が散乱し、

 

机や機械も同様、

 

当時はスマホがまだ普及したばかりで

 

周りはガラケーがほとんど、

 

ライトなどなく、停電の中

 

待ち受け画面の明かりだけが頼りになります、

 

ましてや工場だと意外と

 

窓も少ないので真っ暗Σ(-᷅_-᷄๑)

 

みんなで手を取り外に避難します。

 

外に出ても揺れはすぐに襲って来ます、

 

そしてラジオから聞こえる『大津波警報5m』

 

仕事はその場で解散、職場の方に

 

『家に方には行くな津波が来るぞ』

 

と言われましたが、

 

今まで大津波警報ではないにしろ

 

津波警報でも津波が来た

 

と実感した事がなかった為、

 

大丈夫だろうと思っていました。

 

私の職場から私の実家は車で10分

 

かからないところにあったので、

 

自宅に帰る前に実家に寄る事へ、

 

道路が変形し、

 

陥没箇所から水が溢れるなどし、

 

普段よりも大分時間が掛かり

 

実家を訪ねました。

 

実家に戻ると案の定物が散乱状態であり、

 

自分は嫁さんと保育園に行っている

 

長女を迎えに行くと伝えて実家を後にします。

 

向かう途中停電の為信号機は点灯しておらず、

 

道路もグチャグチャで国道は激混み、

 

脇道を通り近道しながら向かっていましたが、

 

いずれは国道に出て渋滞にハマります。

 

不幸中の幸いか前日に

 

ガソリンを満タンにしていた為、

 

長い時間渋滞にはまっても

 

その辺の心配はなかったです。

 

※長女の保育園は自宅と私の職場の中間辺りにあります。

 

ある程度進みもうすぐ

 

長女の保育園に着きそうな所で

 

2台前の車がUターンします、

 

『なんだ?』

 

と思い様子を見ていると前の車も

 

ハザードを出してUターンします、

 

『何事?』

 

と思ってその目の前の車が

 

Uターンした直後目を疑いました。

 

数十メートル先から押し寄せる波が∑(゚Д゚)

 

少し内陸だったので

 

物凄い勢いでは無かったものの、

 

初めて見る光景に愕然とし

 

迫ってくる波に恐怖を覚え

 

私自身もUターンします、

 

急いでもっと内陸にと考え

 

一旦自家に引き返しますが、

 

通って来た裏道が水没していて

 

通れなくなっており、

 

それでも国道ではなく

 

違う脇道脇道を通り一旦

 

実家へ戻り親に事を説明します。

 

日も暮れる頃私の父と別なルートから長女、

 

自宅へ向け出発します。

 

長靴を履き何とか長女の保育園に

 

たどり着く事が出来ました、

 

ですが肝心の長女が見当たらなく、

 

保育園には誰もいない様子、

 

すると1人の保育士が

 

私達の声が聞こえたらしく

 

奥から出て来て対応してくれました、

 

話を聞くと長女は向かいの小学校へ

 

避難したと伝えられ

 

すぐにそちらに向かい手当たり次第の教室を

 

長女の名前を叫びながら探しました。

 

電気も無く真っ暗な中の為、

 

避難した方が沢山いる中で

 

顔も分からない状態なので、

 

見て探すより、

 

口と耳で判断していくしかありませんでした。

 

しばらく探し歩くと長女の名前に対して

 

『ここです!!』

 

と応答する声が、

 

その声を辿ると教室に

 

保育士含め数名の園児が

 

集まっているのがわかりました。

 

すぐに保育士と状況説明と現況説明をし

 

長女を引き取りました。

 

2歳の長女は何も分からず

 

キャッキャするのでした(*´∀`*)

 

しかしこれで終わりでは無く、

 

肝心の嫁さん、

 

何より住んでいたアパートは海の側、

 

勤め先もほぼ同じ位置だった為、

 

常に不安がよぎります…

 

いつも通ってる道は津波で

 

壊滅状態、警官が通行止めしていた為、

 

迂回して裏道から行く事にしたのですが

 

何故かその道の行き方が分からず、

 

どうすればあの道に続くのか

 

スッカリ頭から飛んでしまったのです( ̄▽ ̄;)

 

私の父はもちろんその道は知る由もなく

 

一旦帰宅して私自身の頭を

 

落ち着かせる事にしました。

 

夜中にもう一度チャレンジしたのですが、

 

思い出せず結局次の日を迎えます。

 

日の出と共に父と再度チャレンジ、

 

数時間思い出せずいた時、

 

ある瞬間に…

 

急にふと思い出し

 

その道を通り迂回していくのでした。

 

その迂回ルートには警察はおらず

 

車で進めるところまで進みます。

 

途中から水が引いておらず、

 

近くに車を止めてそこから歩いていく事に

 

少し高い線路の上を歩いていくのですが、

 

車や家屋など津波の脅威を

 

目の当たりにしてさらに不安が増し、

 

歩くスピードが速くなるのでした。

 

嫁さんの勤務先に着いたら

 

誰もいなくそこから嫁さんの実家まで歩き、

 

実家に到着早々、

 

声を張り上げ閉まっている玄関から

 

中を覗き更に不安が込み上げます。

 

家自体は形は保っているものの

 

中は海水が入り込んでいて泥と家財が

 

入り混じっている状態、

 

声のトーンも上がり名前を叫んでいると、

 

近くを通った方に

 

『嫁さん達学校に避難してたよ』

 

と教えてくれました。

 

すぐさま学校へ向かい各教室を探してます、

 

長女の時とは違い外は明るいので

 

大分探しやすかったです。

 

しばらく探すと、

 

嫁さんの勤務先に勤めてる方と出会い

 

すぐさまその教室に入ります。

 

すると嫁さんは姉と一緒にベランダに立って

 

何か話ししている様子でした。

 

不安から安心に変わりみんな無事だった事に

 

喜びを分かち合います。

 

ただ嫁さんの父と兄はその時

 

まだ連絡がつかない状況にいました。

 

携帯も使えずテレビも見れず

 

ラジオから流れてくるのは県内の海に

 

数百人の○体が打ち上がっている情報でした、

 

朝に届いた見開きのみの号外では

 

愕然とする写真と文面が綴られていました。

 

私と父は車に嫁さん達を乗せて実家へ

 

避難ししばらくの間はそこから行動する事にします。

 

次の日から嫁さんの母と姉、

 

私と私の兄と共に

 

嫁さんの実家の片付けに取り掛かります

 

向かう途中車から見る光景はあまりにも悲惨で、

 

この先2度とこんな光景目にしたく無い程

 

辛い現状がありました。

 

嫁さんは妊婦で7月に出産予定

 

でもありあまりにも悲惨な現状を

 

目の当たりにするのは体にも悪いと言う事で

 

嫁さんは実家待機で。

 

(震災から5日後位に嫁さんの父と兄と再会。

 

父は漁師で震災直後に沖に出て

 

数日間沖で過ごしていたらしい、

 

兄は住まいの4階建アパートの屋上へ避難、

 

3階まで津波が来たらしく、2人とも奇跡だった。)

 

大分日が経ち住んでいたアパートへ向かった。

 

2階へ上がる階段はグチャグチャに崩壊していたが、

 

無理矢理登り自宅へ、

 

嫁さんも妊婦だったけど

 

持ち出せそうな思い出などを持ち出し帰宅。

 

その後私達は仮説住宅へ住まいを移し

 

第二の新居としてスタートを切るのであった。