今の住まいは、楓が生後1ヶ月の時に
移り住んだ、中古の戸建てです。
私自身は、結構引越しが多い人生
だったかと思います。
それぞれの場所が、私にとって
「ただいま」を言える場所です。
それぞれの場所で思い出があります。
幼すぎて覚えていないこともありますが
親の話などもつけ加えて、私の記憶として
綴ってみようと思い立ちました。
地名、人名などは伏せてしまいます。
皆さんの役に立つことのない、
思い出話です。
皆様も、ゆっくりのんびりと。
懐かしい場所に
思いを馳せてみてください……❁
(*^^*)
いつでも、皆様が
「ただいま」を言えますように
祈っております。
年長の夏休み。
年少から通った幼稚園に別れを告げ、夢の新築、庭付き一戸建てに引っ越しました。
私の記憶にある、最初の引越しです。
既に
団地→転勤先アパートA→転勤先アパートB→団地
という引越し回数。
犬飼ってみたい私。
駅までのアクセスが少しでも良い所。
……かどうかは疑問が残りましたが、お庭と平行に駐車場もあるおうちです。
ここで、19歳くらいまで過ごすことになります。
思い出話に変わりないですが、「家」のことを綴るよう努力しております💧
さて、夢の?戸建てに越してきたものの、この家は就学前の私ですらビックリなことがてんこ盛りにありました。
私にあてがわれた東北の部屋ですが、北側の窓がキチンと閉まりませんでした。
クレセントを締める以前の問題で、窓と枠の間に斜めに隙間があいてしまう!!!=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)
なんじゃこりゃ~💦
住んでいる間、キチンと閉められることは1度としてなかったです。
無理やりクレセント締めて、かなりムカついていました。
大手不動産会社が手がける、建売住宅。
周りのご家庭も、大手にお勤めのお父様ばかりでした。
土地建物でそれなりにしたはずです。
住宅地で、同級生も多く、みんなのうちもそうなの?うちだけこうなの?と思っていました。
建売住宅とはいえ、この仕上がりで売りに出せるってなんなんだろう?
変な家……。
そう思っていたある時、玄関ホール奥の階段を登ろうと足元をふと見ると、床に水が落ちていました。
???
当時はまだペットボトル飲料なんてなかったと思うし、
行儀にうるさい母のもと、こんな場所で私も水なんて飲まない。
玄関の金魚鉢の水がこんなとこに落ちるわけない。
お母さんが観葉植物の水やりで、こぼしたの?
※母は午前中にしか水をやらないんだし。
ぴーちゃん(๏‚θ‚๏)が飲水で水浴びした?
※ぴーちゃんは、こんな所に置かないんだし。
ポタッ!
え。
しずくが床に飛び散りました。
上を見上げると、なんと天井に今にも落ちそうな水滴が滲んでいます!!!
天井のクロスにはすでに、不規則な円形のシミが出来ていました。
「お母さん!雨漏りしてる!!!!!」
咄嗟に叫んでリビングへ戻りました。
ええっ?!
という母
「あら本当だ!」
引っ越してきて迎えた大雨の午後でした。
記憶では本当に、引っ越してすぐ。のこと。
幼稚園の夏休みに引っ越してきたので、夕立か?
秋の雨か?
とにかく、なかなかの量の雨漏り。
雨漏りを知った父がかなり怒っていて(そりゃそうだよ)、修繕してくれる人もなかなか来てくれなかった。
という記憶なんです。
振り落ちる雨水を受けるためのお鍋も、数日間置いたままでした。しかも、お鍋ひとつでは足りませんでした。
ボウルなども出動していましたから。
ようやく修繕が済んだものの、雨漏りはこの後、1~2回は発生しました。
新築なのに?
大手が扱っているのに?
子ども心に
「すごい会社でも信用出来ない仕事するんだな。
こんなんで売り物にしちゃうんだな」
と、思った出来事です。
……変な年長児ですよね。
親の言葉をそのまま、自分の記憶にしてしまって部分もあると思います。
でもトータル三度の修繕後、雨漏りは一切なくなりましたが、直してくれるなら窓もやって欲しかったよ。
と思っていました。
だから、多分、私自身の記憶でもあるんですよね。
お隣Aさんが銀行員で、転勤のために数年間いなかったり、お隣Bさんが遠方への転勤で、戻れそうにないから、と売りに出してしまったりしました。
お隣Bさんの後に引っ越してきたお隣Cさんのお宅は不思議でした。
引っ越してきて間もなく、おじさんの姿を見なくなり、入れ替わるように出入りする男性がいました。
……おばさんの、親戚……じゃなさそうだなぁ。
19歳くらいまで住んだ家なので、色んなものを見ました。
何故でしょう。
「母親たち」の色々を見てしまった場所でした。
団地と比べたら設備が新しかったはずなのに、建物の程度の悪さに最もビックリしたのは間違いないですが、多感な頃を過ごしたので、私自身にも色々なことがありました。
そうそう。
私があてがわれた北東の部屋は、しばらくして母の部屋になり、私は当初両親の寝室だった南側に移ります。
理由のひとつに、父の病気があったように思います。
ストレスからなのか、喉を長く患うことになります。
いびきも酷かったようで、母の睡眠の妨げになるため、部屋を分けた。
あと女児は?長女は?
南東の光にあてよ?とか?
そんな理由だったようですが、この主寝室。
その家で唯一、出入口が襖でした!!!
しかも1枚襖……。
多感になる頃、それなりに母親との口論に発展しまして。
カッ!となって、自分の部屋に逃げて襖をばしん!と閉めると、階下からガタン!と、母親が椅子を立つ音がして、階段を踏み鳴らして山姥宜しく母親が追いかけてきます。
だいたいが
「女の子でしょ!?」
「女の子に生まれたくなかったよ!なんで女ばっかりくぁw背drftgyふじこlp;@:「」」
でした。
ばしん!と八つ当たりで閉めた襖は、山姥の怪力によって、あっけなく突破されていましたが、ある時を境に、母が力負けするようになりました。
「もう黒猫に力で叶わない。襖もう開けられない」
……親に勝つとでもいうのか……。
ここまで綴ってきて、気づいたことがありました。
襖を開けた母は、私を掴み、叩いて、押し入れに閉じ込めていましたね…………。しかも、押し入れを中から開けられないようなスペースに私を抱き上げて、外からつっかえ棒して、私が出られないようにしてましたよね???
……私そんなに悪いことしましたかね?
その家での記憶ですから、小学生に上がっているはずなんですよ。
過去記事見て頂くと、私は親との間に確執があるようなので、それを探るためにも、こうして綴っているところなんです。
その後……
その家の程度や、ヘンテコ間取りに、手入れの不便さに疑問を持ちながら、私は成長しますが、成人を前に不可解な事が起き、私たちは再び、家探しを始めることになるのです。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます❁