私のFBで、第162回芥川賞受賞作品『背高泡立草』(せいたかあわだちそう)について書きました。

在来種と外来種の共存できる世界を目指そうという内容でした。

この記事にいただいたコメントが面白かったので、紹介します。

 

 

【京都のホテルでの会食に向かうのに個人タクシーに乗りました。タクシーの運転手さん曰く、最近のチャイニーズの旅行客の階層は下の上か中位だ、と。

僕の乗りました日の前の週に乗せた中国人女性二人組は最低だった、と。

一人が「ココデ停メルデス」と言ったので停めたら、一人が下り、歩道脇で脱糞。

「紙が無いからくれ」と中国語でもう一人を呼び出したから、もう一人も下りました。

中国語を解さないその運転手さんはタダ乗りで逃げられる、と思い、あとを追うと脱糞中。もう一人は「紙など無い」という雰囲気だったので、運転手さんはトランク内に入れていた掃除用のティッシュボックスを貸してあげようと戻り、手渡すために振り返ると、二人めと、脱糞を終えたばかりの中国人とがタクシーに再度乗り込んで来て、「尻を拭け」と運転手さんが日本語で言うも聞かずに、ゼスチャーで示すも聞かずに、拭かないまんま座席に戻ったそうです。

「えっ?!僕の座ってるこの席ですか?!」と訊ねましたら、「そうですよ」と。

「その中国人二人は掃除の為の弁償も払わずにそそくさと下車し、そのあとは仕事にはならず、臭いと汚れをきれいにするため、家に戻り、奥さんと徹底的に車内外を洗い磨き上げました。3日必要だったので損害はかなりのもんでしたよ」と。

「京都の幹線道路の植え込み近くとはいえ、歩道の、大通りから見るなと言われても見えるところで脱糞ですよ。お客さん、これ、まず考えられないでしょ?」と。

その話の終わってすぐホテルに到着しました。すぐにお食事でございました。

問わず語りの一方的な、運転手さんのお話でした。

母の中国旅行の実体験では、中国人どうし、顔を見つめ世間話をしながら、お互いに下半身をさらしながらの用便は普通らしく、たとえアカの他人が見ていようが、とくに気にせずに便をしていることなど普通にあったそうでした。

コブラに噛まれないようにお互いに顔を見るかたちでお互いの背後を監視しながら脱糞をするインドなど、身の命に関わる危険にくらべれば、便をしている姿を他人に見られる事など、たいして話題にしていない感はかなりありました】

 

 

【先日、東京より帰省した娘が言ってました。

中国人が、子供を抱きかかえ、駅の近くのごみ箱におしっこをさせていたんだと。

これらの行為は、モラルの違いではなく、この人間性の違いでしょう。

中国人は全てこんなではないと思いたいです。

お互いを認め合うということは、相手に合わせることでもあるのでしょう。

誤解が無いようにあえて言っておきますが、野糞をしろというのではありません。

しないほうに合わせろと言っているのですよ(笑)】