何だかんだとバタバタしている間に、漁夫の利って感じで初場所が終わりました。
 
その昔、当時右に出る者は居ないと評判の猛者、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)という者が居ました。
 
そのふたりに、推仁天皇が力比べをさせたのが相撲の始まりとされています。
 
宿禰は、みごとに蹴速をたおし、垂仁天皇はたいへん喜び、野見宿禰は領地をもらって、天皇につかえることになりました。
 
そんなことで、野見宿禰が相撲の祖神ともされています。
 
このように古来の奉納相撲が起源となり、平安時代に入って、農作物の収穫(五穀豊穣)を占う「国占」という国家行事となり、宮廷儀式の「相撲節」として発達することになります。
 
そして、様々な技が洗練されてゆき、次第に現代のような独特の様式を持つ格闘技となりました。
 
江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道の興行として成り立ってきました。
 
ですから、現代に於いても、力士は強ければいいというものではなく、神聖な神事の執行者でなければなりません。
 
勝てばいいというものではないし、ましてや、単なるショウであってはならないのです。
 
相撲界の方々は、しっかり襟を正さねばなりません。
 
 
(補足)やがてふるさとの出雲へ帰ることになった宿禰は、その途中、播磨国(現龍野)まで来たところで、重い病気にかかり亡くなってしまいました。
 
現在も龍野には、野見宿禰墓と言われる古墳があります。
 
相撲の神様である野見宿禰の墓に設けられた玉垣は、力士が寄進したもので、名力士や、今も襲名されている行事などの名前が刻まれています。
 
私の幼い頃には、毎年、野見宿禰の墓の前で、大相撲力士達によって奉納相撲があって、大鵬や柏戸を観に行ったものです。