朝日新聞デジタルのよると、
「人口約13億人のうち約5億人がトイレのない家に暮らし、茂みや道端で用を足すインド。
背景にあるのが国民の約8割が信仰するヒンドゥー教の思想だ」
ということです。
以前インド北部を3週間ほど、バスで旅をしたことがあります。
確かにホテル(名ばかりですが)以外でトイレは見ませんでした。
私達旅行者も、男性は勿論、女性達も茂みに隠れて用を足したり、地元の人に案内されて、歩いて川辺まで行ったこともありました。
ヒンドゥー教では、「浄と不浄」という観念が強く意識されるので、生活の場に不浄なものを作らないのです。
「浄と不浄」を強く持つのは、日本の神道も同じです。(「浄と穢」といいます)
もう死語になりつつありますが、トイレのことを「御不浄」って言ったりしますね。
その考えに基づいて、あらゆるものを「浄と不浄」に分けて考えるところに、「差別」を生み出していくのです。
それに対し、仏教は、「浄穢不二」といって、浄と不浄とは対立するものと思われるが、真如(正しい・本当)の上では差別(違い)がなく同一であると考えられているのです。
私達も、正しいものの見方をしなければなりませんね。
補考;今の日本のトイレはとても清潔で、「不浄」って感じじゃないですね。