昨日、新大阪駅で降りて改札に向かって歩いていると、6,7人の男性がだんご状態で前と歩いていました。
何か様子が変で、よく見ると、真ん中で囲まれている若い男性は、腰に太い紐を巻かれ、その紐を横の男性がしっかりと持っているではありませんか。
あれっと思い注意してみると、前で組まれた手には布がかけられています。
そうです。
警察官が犯人を新幹線で護送しているのです。
まるでドラマのワンシーンを見ているようでした。
同時に、なにか胸が苦しくなりました。
犯罪を犯し、遠くに逃げていたが捕まり、こうして自由を奪われた若い男性は、今は超孤独なのに違いありません。
これから起こることに不安を持ち、怯えていることでしょう。
犯罪を犯したので当然の報いでしょう。
しかし、この子も生まれたときは、皆と同じように周りから寵愛されていたのに違いありません。
誰がこんな姿を想像したでしょうか。
その家族が、この姿を見たらと思うと、切なくて、切なくて、胸が苦しくなりました。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)
ということが思えてなりません。
人というものは、誰もがそのようなことを起しかねない、その可能性を秘めているという人間の罪業の重さを感じました。