
豊岡市出石町の旧家で、豊臣秀吉が、側室の茶々(淀殿)へ送った自筆の手紙が見つかったそうです。
病を患っていた茶々をやさしく気遣う内容です。
以下全文です。
「灸をたくさんすえたということを聞いていたので、
熱が上がるのだろうと心配していたところ、
具合が良くなったと聞きました。
たいへんに満足です。
能を企画して(茶々に)見せたいと思っているので、
これから食事をしっかり取るように。
また、さんまを送ったので、味わうように。
かしく。
六日
お茶々へ 太閤より
追伸部分
灸が嫌いなはずなのに、それほど(灸をしなければならない程)高熱だったと聞きました。(それを耐えたのは)さすがお拾(秀頼の幼名)のお母さんだね!」
<東大史料編纂所による現代語訳>
これまで多く見つかっている正室の北政所宛ての書状は、口うるさく厳しい一方のものばかりでした。
当時、50代だった秀吉が、20代の若い愛人をいかに可愛く思っていたかを伺うことが出来ますね。