
「文藝春秋12月号」の橋田壽賀子氏の「私は安楽死で逝きたい」という寄稿がありました。
これをきっかけに、「安楽死」「尊厳死」について話題になっています。
先ず二つの違いをはっきりさせておきましょう。
「安楽死」とは、助かる見込みのない死期の迫った患者を苦痛から解放するため、薬物などを投与してする死です(積極的安楽死)。
「尊厳死」とは、患者自身の意思によって延命治療を中止する死です(消極的安楽死)。
只、両安楽死は、日本では法的に認められておりません。
「文藝春秋3月号」には、著名人のアンケートが集約されておりました。
先のブログでも書いた通り、反対意見はごく少数でした。
両安楽死に賛成意見は、「苦しみたくない」「迷惑をかけたくない」「自分のいのちは自分で決める」「そうまでして長生きする意味が無い」等が大方の賛成の理由でした。
反対意見は、「天命は人為の侵すものにあらず」「生きものは全て自然死するもの」「自分のいのちだからといって自由にするのは人間の傲慢」「人間だけ特別であっていいはずがない」というものでした。
自分のいのちを自分だけのものと考えているか、自分だけのものではないと考えているかの違いでしょうね。
自分のいのちは自分のものです。
しかし、決して自分だけのものではないということを自覚するべきです。
でなければ、命は尊いなんて言えなくなりますよ。
先のは橋田氏は、死が迫った90歳になって初めて死ぬことを真剣に考えてみたと言っています。
子も孫もいないから何も思い残すことがないから自分の意思で逝かせてもらう法整備をして欲しいというのです。
今の日本は、みんなが正しいという意見が正しいものであるという風潮があります。
大きなウェーブに巻き込まれてしまうことが怖いです。
いずれにしても、著名人の発言は、社会的な影響力が大きいので、それなりに発言は慎重にして頂きたいものですね。
また、我々は、そういう方々の意見を冷静に受け止めていかなければなりませんね。