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明日24日は、土用の丑の日で鰻(うなぎ)を食べる日です。


 


昔は、頭から尾までそのまま串刺にして焼いていて、その姿が蒲の穂に似ているところから「蒲焼き」といわれました。


 


その後元禄の頃、京都では開きにして醤油や味噌をつけて焼く蒲焼きが開発されました。


 


それが大坂で「割(ひら)き売り」として売られるようになり、江戸に伝わったのです。


 


ただ江戸では、背開きにし、「蒸し」の調理工程が加わったのです。


 


今日、関西でも関東でも、お高い食べ物ですが、当時は、そばと同様に安い屋台料理だったそうです。


 


 


「鬼平犯科帳」(池波正太郎著)による蘊蓄(うんちく)です。


 


 


 


「蕎麦にしろ鰻にしろ、近年は、調理法に贅沢な変化があらわれてきはじめた。


 


辰蔵が子供のころは、鰻なぞも丸焼きにしたやつへ山椒味噌をぬったり豆油(たまり)をつけたりして食べさせたもので、江戸市中でも、ごく下等な食物とされていたものだ。


 


とても市中の目ぬきの場所に店をかまえて商売ができる代物ではなかったのである。


 


それが近年、鰻を丸のままでなく、背開きにして食べよいように切ったのへ串を打ち、これを蒸銅壺にならべて蒸し、あぶらをぬいてやわらかくしたのを今度はタレをつけて焼きあげるという、手のこんだ料理になった。


 


これをよい器へもって小ぎれいに食べさせる」


 


(文春文庫「鬼平犯科帳7」『泥鰌の和助始末』より抜粋)