今回の事件を通して、個人の自己責任(自由)と国家が負わなければならない個人保護の範囲というものを考えさせられました。
日本国家は、日本人の面倒をどこまで見てくれるのであろうかということです。
先日、聞いた話です。
職業を持つ女性の子育て支援の話の中での若い母親達は、
「両親と同居していないので、子供の面倒を見なければならない」
「働きたくても、預ける保育園が一杯では入れない」
「子供を保育園に迎えに行かなければならないので、残業等が出来ない」
「子供に縛られ、自分のことが出来ない」
「日曜日は子供の面倒を見るので、身体が休まらない」
等、みんなうなずき合いながら話し合っている。
「政府による子供を育てやすい施策が必要だ」
「私たちは少子化が進む中、ちゃんと産んだんだから、国がちゃんと育ててくれればいいのに」
などというのです。
挙げ句の果てに、
「こんな事なら、子供を作らなかったらよかった」
と。
子供は作るものじゃなくって、授かるものじゃなかったのですか。
人はこれを、
『平和ぼけ』って言ったんでしょうね。
追伸、今回のジャーナリストの死をジャーリズム(報道機関)は、美化しすぎてはいませんか。