日本はポツダム宣言を受諾した。
その翌日、1945(昭和20)年8月15日正午に、重大(玉音)放送が日本中のラジオから流されると予告された。
人々はその内容をそれぞれに予想した。
ある者は、天皇陛下自らが聖戦貫徹を督励されるのだと思った。
又ある者は、いよいよ本土決戦に備え一億玉砕の勅命かと思った。
又ある者は、ソ連に対する宣戦布告かと思った。
そして多くの人々が、戦争終結のご詔勅(しょうちょく)かと期待した。
正午ちょうどに、「君が代」が流れた。
人々は直立不動のまま、誰もが初めて聞く天皇陛下の声(玉音)を待った。
「朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状を鑑(かんが)み・・・」
日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。
ようやく太平洋戦争が終わったことを国民は初めて知らされた。
国民の多くが皇居の方角に向かって頭を垂れ、土下座をして涙したのである。
その時、あれほど平和と安泰を思い、終戦を願っていた人達がいたにもかかわらず、誰ひとり飛び上がって悦び、万歳をした者はいなかったという。
歓喜のあまり居ても立ってもいられず走り回ることも出来ず、かといって表情に表すことも出来なかった社会、それが当時なのである。
そんな現代人には考えも付かない価値観を持った時代のことを、我々が戦後の価値観を持って批判することは果たして正当な判断なのであろうかと、近頃考えさせられるのである。