NHK新会長の籾井勝人氏、作家の百田尚樹氏が、公の場で不見識な発言を繰り返した。
ともに安部首相に近い存在である。
両者とも、私的な見解を公的な場で言ったことについて反省の色を見せたものの、見解そのものは個人の認識として否定しなかった。
よく、公人と私人の立場を使い分けをするが、如何なものか。
一人の人格であるのに、公人と私人を分かち、そこにはさも二人の人間がいるように振る舞っている。
立場、役職の上とは言え、変わらない自分が存在するのではないか。
私も色んな役職を持っていて、公的な立場に立たされるときが多々ある。
いつもその公私を分けず、いや、分けてはならないと努力を欠かさないと思っている。
それは決して公の場に私的なものを持ち込もうというのではない。
公の場で通用する自分を作り上げる努力を欠かしてはならないと思っている。
たとえば、自分が学校の先生だとして、勤務の学校に自分の子供がいる場合、学校では教師、校門を出れば親と変われるだろうか。
親であり教師である自分がいるのであるから、それを貫かねばならないのではないか。
そこには、ひいき目に見てしまう自分を制御する努力を欠かしてはならない。
学校では、〇〇くん、家出は○○って呼ぶなんて、気持ち悪くて仕方が無い。
公人である前に私人(個人)、私人が公人という役職を担っているのである。
だから、公人足るべく努力しなければならないと考える。