
先日、スーパーマン誕生の物語を描いた、映画「マン・オブ・スティール」を観てきた。
スーパーマンは、赤ちゃんの時に、遠い惑星から脱出させられて地球にやって来た。
その惑星は、地球より高度な文明を持っていた。
その惑星人は、自然誕生ではなく、人口誕生で生まれてくる。
それぞれに必要とされるDNA が組み込まれ生まれる。
即ち、科学者のDNAを組み込まれたものは科学者に、教師は教師に、兵士は兵士に、労働者は労働者に、主婦は主婦にというように、それぞれ専門職に生まれてくるのである。
生まれた後には、変更の自由は当然許されないし、誰も望まない。
誰もが自分の能力を十分に発揮し、豊かな社会を形成し、その中で充実して暮らしているのだ。
かつてインドを旅行して知ったのは、階級社会では、理髪師の家に生まれた子は理髪師、洗濯屋に生まれた子は洗濯屋にしかなれないというのを思い出した。
そんな惑星も、資源を使い果たし、ついには滅亡する日を迎えるのだが、惑星再建のための最後の望みを唯一自然分娩で誕生した赤ちゃんに託し、脱出させたのである。
自分たちの豊かな生活を追求のために、科学を駆使した結末は、崩壊と滅亡であるということか。
限りある人間が、限りない欲望を求めた結果が、原発事故であったように!!