日ごろ使っている慣用句は、疑うべしですね。
「ご飯を炊く」と言いますが、ご飯を炊いたらベチョベチョになります。
「お米を炊く」のですね。
他にもあります。
お湯を沸かすのではなく、水を沸かすのです。
手紙を書くのではなく、字を書くのです。
炭を焼いたら灰になります。
木を焼いて炭にするのです。
こけし(人形)を彫るのではなく、木を彫るのです。
コンセントを抜いたら壁が壊れます。
プラグを抜くのです。
オムレツを焼くのではなく、卵を焼いてオムレツを作るのです。
体罰による指導が問題になっております。
(「体罰」イコール「暴力」という構図には、問題があると思うのですが・・・。)
「愛の鞭(むち)」と言いますが、本気で愛するなら、鞭なんか使えますか?
元巨人軍の桑田真澄氏も、
「体罰で、愛を感じることはありません。」
と言っています。
私も、同感です。
鞭や、(ロープやロウソク)、暴力で虐(いじ)めたり、虐められたりして愛を感じたり、いい気持になっている人も、いるにはいるんでしょうけどね、それは別の世界の話ですよね。