今朝の5時46分は、何事も無く静かに過ぎていった。
1995年(平成7年)1月17日(火)5時46分。
阪神淡路大震災がもたらした被害は、死者6434人、約10万4900棟全壊、約14万4000棟半壊であった。
未曾有の災害が、大都市を襲った。
全国からボランティアが神戸に入り、救済と復興に尽力したおかげで、今神戸に立っていてもその片鱗を探すことは難しい。
よくもまぁ、ここまで!
当時を思いだすと、今では笑い話のようなことが沢山ある。
「おにぎりしか食べてない。」
「次は、冷えた弁当か。」
「暖かいものが食べたい。」
そんな状態が報道された震災当初、全国から鍋とプロパンを抱えたボランティアやってきて炊き出しをした。
大量にできて、簡単で、栄養があって、暖かいものといえば、豚汁(トン汁)を思いつくのは当然のことであろう。
一時は、神戸のいたるところで豚汁のにおいが漂ったものである。
そのうち被災者たちも、口には出さなかったが、豚汁のにおいをかぐのも嫌なほど、うんざりしたものだ。
今でも家で豚汁を出されると、当時を思い出して、ちょっと悲しくなることがある。
一ヶ月ほどしてからであっただろうか、東灘の高校など数か所に、「炊き出しバンク」なるものが設置され、炊き出しのメニュー情報と各避難所からのリクエストを集中管理し、少しでも需給関係を改善しようとされたものである。
どこへ行けば何が炊き出されている。
どこの避難所のカレーがうまい。
まぁ、いろんな情報が流されたものであった・・・・・。
私たちは、歴史的事実としての震災を伝えるのではない。
あなたは、忘れられない日がありますか?
わたしは、そっと手を合わす日があります!